[2015_01_24_06]1994年報告書(福島第一・第二原子力発電所 津波の検討について 平成6年3月 東京電力株式会社2015年1月24日)
 
参照元
※引用者注:以下の図は参照元(原発と大津波_警告を葬った人々_もっかい事故調_オープンセミナー_添田孝史)の17ページ目の抜粋である。図の一部をテキスト化したものを図の下に示した。
           1994年報告書

 なお、宇佐美(1987)によれば第2表及び第3表に示した地震以外にマグニチ
ュードの大きなものとして869年の地層(M=8.3)があるが、同地震については
文献調査の結果、以下に示すようなことが挙げられる。

(1)地震に関する記録が「日本三代実録」に限られており、津波が多賀城下まで
来襲し、溺死者が千人ほどとなったことが記述されているだけである。

(2)阿部?ら(1990)(16)は、この津波による仙台平野の痕跡高を考古学的所見等
により検討した結果、痕跡高は河川から触れた平野部で2.5〜3.Om、浸水域は
海岸線から3kmぐらいの範囲であったと推定しており、1611年及び1933年の津
波と比較して、仙台平野における痕跡高は、1933年の1.0〜2.4mよりも大きく
1611年の6.0〜8.0mよりも小さかったと考えられることを指摘している。

(3)869年の地震と1611年の地震の震央位置が比較的近い。
これらのことから、敷地においても869年の津波は1611年の津波を上回らなか
ったと考えられる。

福島第一・第二原子力発電所 津波の検討について 平成6年3月 東京電力株式会社
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