[2014_11_29_01]長野県の地学_長野県の地学ガイド_神城断層地震(白馬村)_長野県神城断層地震(その2)_宮坂晃_長野県理化学会_地学部会_編(上田ケーブルビジョン2014年11月29日)
 
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長野県の地学_長野県の地学ガイド_神城断層地震(白馬村)_長野県神城断層地震(その2)_宮坂晃_長野県理化学会_地学部会_編


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 2014年11月22日(土)22時8分頃、長野県北部、北安曇郡白馬村を震源とするマグニチュード6.7の地震が発生し「長野県神城断層地震」と命名された。震源の深さは5kmで、この震源は1714年に発生し、56人が死亡した地震の震源と一致しているらしい。白馬村、小谷村、小川村、長野市で最大震度6弱を観測したが、白馬村内では建物の倒壊状況などから震度7程度の場所もあったとみられる。
 震源断層は白馬村と小谷村を縦断する神城断層で、余震の震源の分布域は神城断層とほぼ重なっている。今回の地震は、長さが30km近くの神城断層のうち、北側の長さ11km余りがずれ動いて断層の南側は動いておらず、南側にはひずみが蓄積していると考えられている。
 神城断層は糸魚川静岡構造線活断層帯の長野県の最北部を占め、東日本大地震の後、糸静線の活動度が上がる予想が出ていたが松本市の牛伏寺断層だけがクローズアップされ、神城断層については注目されていなかった。このことからも地 震予知の難しさが窺える。(これについては牛伏寺断層の項参照)
 白馬村内各地に地震断層が出現した。長野県の過去数十年、地震はあちこちで多数発生したが、今回のように見事な変形が地表に現れたのは初めてだと思われる。

(左上図) 地表に出現した地震断層の位置(撮影場所)以下の写真の位置に対応している。
(上中図) 城山の東に出現した地震断層(F1)。道路を横切っている。断層の東側(写真の奥側)が10cm隆起し、10cm程度の左横ずれ成分もある。道路は既に改修されてしまっている。
(右上図) 城山の地層から抜け出た礫(3個)直径50cm程度。断層から10m北に寄った位置で見られる。

(左上図) 塩島に出現した地震断層(F2)。南側から北を向いて撮影。断層の東側が80cmほど隆起し、30cmの左横ずれ成分を持つ。道路、川、田畑を横切り城山に向かって伸びている。
(上中図) 同じく塩島の工場敷地に現れた地震断層。東側が80cm隆起している。北側から南方を向いて撮影。

(左上図) 松川左岸道路。東側が80cm隆起したが道路は改修されてしまっている(F3)。
(上中図) 大出の道路を横切る断層(F4)。東側が40cm隆起した。道路右の側溝が変位を残している。
(右上図) 同じ場所の南側。墓石の立っている高まりと隆起部が一致することからこの高まりも断層活動によってできた可能性が高い。

 神城に出現した断層。田んぼの東側が500m以上にわたって東側が盛り上がり、撓曲構造を作っている。写真のようにトレースは直線的でなく、東西方向に出入りしている。これは低角の断層のため、地下の地質の違いを反映している(断層のトレースそのものが曲がりくねっている)のかもしれないし、この場所はもともと湿地だったので、過去の湿地の地形が浮き上がってきたとの説もある。

(左上図) 東側が30cm隆起。田んぼの畦も変形している。断層が道路を横切る場所では必ず道路が破損している。(F5)
(上中図) 同じく東側が30cm隆起。ここのトレースの湾曲は著しい。(F6)
(右上図) 断層がオリンピック道路を横切る地点。そこだけ電柱が西側に傾いている。

(左上図) 飯田の断層が姫川を横切る地点。アスファルトが手前側(西)に向かってのし上がっている。(F7)
(上中図) 神城断層は東側の岩盤が西側の岩盤にのし上げる逆断層である。地表に現れた変形はほとんどが断層の東側が西側にのし上がっており、断層の動きと一致する。国土地理院は23日、今回の地震で白馬村の観測点が南東方向に約29cm動き、約12cm沈んだと公表した。観測点は断層の西側にあるので、この値も断層の動きと一致する。
 震源は地表に現れた断層から東に3.5kmの地点で、白馬村を東西に切った断面図を描いてみると断層面が約50°の傾斜になっていることがわかる。(断層のずれは断層面に沿って起こるが震源とはずれ、(破壊)が断層面上で最初に始まった点である。)
 Fa:地表に現れた断層 Ep:震央 Fo:震源

(左上図) 堀之内の倒壊した家屋
(上中図) 堀之内地区の墓石。ここではすべて倒壊しているのに比べて、他地区ではほとんど倒れていない。
(右上図) 浮き上がったマンホールと噴砂跡。地盤が軟らかい場所で起きる現象。

 白馬村内では特に堀之内地区の被害が大きかった。堀之内は1995年に地質調査所がトレンチを掘った場所である。トレンチの結果、地下に分布する湖成層が断層の動きによって大きく撓んでいる露頭が出現し、その変形の様子から2000年に1回のペースで地震が発生してきた履歴も分かった。また、断層を挟んだ両側でボーリングが掘られ、東側に比べて西側は非常に大きい速さで沈降していることが認められた。(西側では25000年前の火山灰が地下54mに現れる一方で、東側では70000年前の火山灰が地下3mに現れていた。地質調査所1986年のボーリングデータ。)もちろんこの差を生み出しているのは断層の動きである。両側の沈降差は2mm/年なので、2000年周期だと1回の断層運動で4mのずれが生じるはずだが、1714年の地震からは300年しかたっていないのでずれの量は60cmになる。
 堀之内での揺れが大きかったのは、このような地下の軟弱地盤、盆地と山地の境という立地条件から振幅が増大した、などの他に、信州大学の大塚氏らの調査によれば断層は堀之内の北側を通るものと南に分岐したものがあるらしく、間に挟まれた堀之内が特に揺れが大きい、などの理由が考えられている。
 長野県によれば、この地震で負傷者は45人。住宅被害は、全壊31棟(白馬村27棟、小谷村4棟)、半壊56棟(白馬村17棟、小谷村27棟、長野市12棟)となっているが、これだけの地震で死者が一人も出なかったのは「白馬の奇跡」と称されている。住民どうしの絆が強く、倒壊した家屋から近所の人が素早く助け出したからである。

  <参考文献>信濃毎日新聞・毎日新聞・朝日新聞
        大塚勉(2014)長野県神城断層地震(2014年11月22日)緊急調査報告
                                          (宮坂晃)

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