[2014_04_29_01]遺跡からの警告 地震考古学 13部 南海トラフ編 古墳時代4 相模でも激しい揺れ 関東大震災を上回る(東奥日報2014年4月29日)
 「神奈川県の遺跡には、4〜5世紀に起きたすさまじい地震の痕跡が残っている。1923年の関東大震災や1703年の元禄地震より大きく、県全域がほぼ壊滅状態だった」。地形学研究者の上本進二さんが言う。
 太平洋側で地震や津波、富士山噴火が相次ぎ、山梨、静岡、神奈川県から大古墳が消える「空白の5世紀」。神奈川県は火山灰の影響が少ない東部でも遺跡が激減しており、「遺跡の状況からみて、相模トラフの大地震と津波に襲われたのではないか」と話す。
 フィリピン海プレートが陸側プレートの下に沈み込む相模トラフ沿いでは、関東大震災のようなマグニチュード8級の巨大地震が繰り返し発生。元禄地震は関東大震災より大きく、房総半島も合わせ、地震と津波で約1万人が死亡したという。
 上本さんは神奈川県立高校で地理を教える傍ら、遺跡の発掘現場で25年以上、地質を調査。2012年の退職後も研究を続け、県内で約120の地震跡を確認した。
 地震の年代は4〜5世紀に集中し、被害も甚大だ。例えば、茅ヶ崎市の臼久保遺跡では幅十数メートルの地割れが発生。藤沢市の慶応義塾湘南藤沢キャンパス内遺跡は、当時の集落跡を幅6メートルの地割れが引き裂き、竪穴住居の床面が上下にずれた。
 一色遺跡(二宮町)と引地遺跡(伊勢原市)にも同時期の大きな地割れがあり、中に土器を供えてあつた。「これだけの大地震なら余震も相当あっただろう。早く収まるように儀式をしたのでは」と上本さん。
 三浦半島の間口洞穴遺跡では古墳時代(4〜6世紀)の落盤跡が報告されており、津波が原因の可能性もあるという。
 当時の関東は、湧き水が豊富な丘陵の谷あいで稲作をしていた人々が、広い平野へ進出し始めたころ。その出はなをくじくような大災害だった。
 産業技術総合研究所の寒川旭客員研究員(地震考古学)は「過去300年間では、南海トラフ地震の前後に関東でも相模トラフか直下型の地震が起きた。両トラフは舌状をしたフィリピン海プレートの先端部で影響し合っているように見える。次の南海トラフ地震でも関東の大地震を警戒しなければ」と話す。
 約900万人が住む神奈川県。相模トラフで4〜5世紀並みの地震が起きたらどうなるか。上本さんは、約7万年前に箱根火山から噴出した火山灰の影響を心配する。
 「南関東一円の地下に厚く堆積しており、水を含むと粘土状になり液状化しやすい。家を載せたまま地盤が滑ったり、道路が食い違ったりするだろう。慌てるうちに、海からは津波が押し寄せる。自宅や職場、学校周辺の地質を知り、逃げ場所を考えて」と話した。
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