[2012_01_15_03]神戸の防災計画(中)5か6か 震度めぐり攻防(神戸新聞2012年1月15日)
 
参照元
神戸の防災計画(中)5か6か 震度めぐり攻防

 神戸新聞社が今回入手した「神戸市の震災対策」と題した1977年の資料がある。だが、その3年前、地震学者らが報告書「神戸と地震」で危険性を指摘した「直下地震」の文字は見当たらない。
 「活断層の意義を検討し、地盤予想図を作成した」。つまり、土地開発の掘削時などに使う地盤図だけが引き継がれていた。
 ポートアイランドに続き、六甲アイランドの埋め立て工事が本格化し、「山、海へ行く」と呼ばれる“神戸市商法”が全国で注目されていた。市長の故・宮崎辰雄がインタビューに答えている。
 「神戸は地震に強い街ですよ。地盤も花こう岩だし、いざとなったら山へも海へも逃げられる」
 当時、市の懸案は水害だった。死者616人が出た38年の阪神大水害、死者145人の74年豪雨…。だがそのころ、断層は破壊へのエネルギーを着実にため込んでいた。

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 84年5月30日、宍粟市を震源にマグニチュード(M)5・6の地震が起きる。神戸で震度3。数日後、宮崎は防災担当主幹だった吉沢博を呼ぶ。防災計画に地震対策編を策定するための準備を命じた。
 地震学とライフライン工学、消防工学が専門の神戸大助教授3人と、神戸海洋気象台幹部の計4人が、審議委員として招集された。
 吉沢は、有馬−高槻構造線▽山崎断層▽和歌山沖(南海トラフ)−の三つを震源と想定し、最大震度を「5」とする事務局案をつくる。だが専門家の助言を得る際になって次々と批判を浴びた。
 「兵庫県は6を採用するのに、なぜ5なんだ」
 地震学者の寺島敦(80)が指摘したという。県は78年の伊豆大島近海地震を受け、同年9月から市に先行して震災対策の計画取りまとめに入っていた。
 吉沢は「過去1400年間で神戸に震度6の地震はないからだ」と説明した。
 それは、県の調査でも同じだった。だが県は「実際よりやや大きい(恐れがある)」との注釈を付け、想定震度を「5〜6」とした。出火件数などの被害算定には5を用いながらも、地震学者らの警告に最低限、配慮した格好だった。
 寺島「神戸市は断層の巣だ。震度6を超える可能性も十分ありうる」
 吉沢「理解するが、いつ起こるか分からない。対策するのは県ではなく、市だ」
 寺島「いつかは起こるのに対策しないのか」
 答えに窮した吉沢が言ったという。「今回は、お金がかからないやり方で(計画を)つくるのが市の意向。6では水道管ひとつ整備するのにお金がかかりすぎる」
 後日、神戸海洋気象台の委員が「やっぱり6にした方がいい」と議論を蒸し返した。これに対し、水道局計画課主幹だった碓井昭彦(72)は「予算を知らない者が勝手なことを言うな」と声を荒らげた。
 当時、水道管の大半は継ぎ手部分が弱く、震度6に対応できる耐震管は70年代に登場したばかり。3千キロメートルを超える総入れ替えが必要になるかもしれない。碓井の試算で3千億円超。後の神戸空港建設費に相当する額だった。(敬称略)

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