[2011_11_08_01]遺跡からの警告 地震考古学 第3部4 謎多い「揺れない地震」 南海・東海 連動の鍵(東奥日報2011年11月8日)
 天下分け目の関ケ原の戦いから5年。まだ混乱が続く慶長9(1605)年2月3日午後8時ごろ、駿河湾から九州の太平洋側の広い地域に突然、大津波が押し寄せた。
 揺れに比べて津波の規模が大きい「津波地震」で、静岡県浜名湖周辺で「にわかに大波が来て舟が山に打ち上げられた」、徳島県東部の宍喰浦では「月が出るころより大津波押し寄せ地面は裂け水が噴き出し、人々は山へ逃げ登った」という。
 南海、東海地震が同時発生したとされるが、揺れが小さいため古地震調査の決め手となる液状化などの跡がほとんどなく、震源域は不明。浜名湖西岸にある静岡県湖西市の長谷元屋敷遺跡で2002年、この時のものとみられる津波堆積物層がようやく見つかった。
 東大地震研究所の古村孝志教授は「津波地震は知られている事例が少ない。なぜ起きるのか、周期性があるのかもよく分からない」と指摘。通常の地震で解消しきれなかったプレート境界のひずみが長年蓄積されて発生すると考えられているが、不明な点も多い。
 「プレー卜間地震は通常、陸寄りの地下約10〜40キロの深さでプレートが急激にずれ動いて起きるが、津波地震は陸から離れた海溝寄りの深さ約10キロより浅い部分がゆっくりとずれ動く。東日本大震災では通常の地震につられて津波地震の領域が大きくすべり、巨大な津波が発生した。こういうミックス型の連動地震は予想していなかった」
 東北沖では明治三陸地震(1896年)など過去にいくつかの津波地震が起きたが、東日本大震災で動いたのは津波地震の空白域。「南海トラフでも同じことが起きるかもしれない。慶長地震の震源域を突き止め、空白域が分かれば、次ばそこがずれ動く可能性が高い」と古村教授。南海・東海・東南海地震の3連動に津波地震が加わると、マグニチュード(M)9級が予想される。
 長谷元屋敷遺跡は遠州灘沿いの集落跡で、古代から津波による被災と復興を繰り返した。湖西市社会教育課の後藤建一課長は「慶長の地震後は人々が戻ったものの、次の宝永地震(1707年)で壊滅的な被害を受け、ついに集落ごと高台へ移転した」と話す。
 3連動の宝永地震はM8・6で、東日本大震災に次ぐ規模だったとされる。古村教授は「近い将来発生が予測される『次』も3連動の可能性が高い。時間との闘いです」と表情を引き締めた。
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