[2011_09_01_01]3.11大震災 フクシマの教訓 第3部 津波に耐えた原発中女川 建物補強 地震にも強く 改善重ねる姿勢を重視(東奥日報2011年9月1日)
 3月11日、東北電力・女川原発が立地する牡鹿半島は強い揺れで多くの道路が寸断された。点在する集落の民家も津波で押し流された。半島内に孤立してしまった住民。駆け込んだ先は女川原発だった。同社は事務館や体育館に住民を受け入れ、備蓄食糧も提供した。避難した住民は最も多いときで364人。
 「避難した人の中には臨月の女性や酸素吸入が必要な人もいた。本店にお願いして病院を探してもらい、当社のヘリコプターで搬送した」と渡部孝男・女川原発所長は震災後の様子を振り返る。
 地震・津波に耐えた同原発は周辺住民の避難所としての機能も果たした。福島第1原発が放射能漏れ事故を起こし、周辺住民を20キロ圏外に追いやったのとは対照的だ。

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 同社は、宮城県沖地震など三陸地方が過去に繰り返し地震に見舞われた経験を踏まえ、地震対策にも力を注いできた。2年前、1〜3号機の計6600カ所で設備の耐震性を高める工事を自主的に実施したのもその一例。仮置きであっても資材が荷崩れしないよう固縛するように変えたのは、東京電力の取り組み事例に倣った。
 「いろいろと耐震工事を実施してきた。敷地の高さがあるからといって、あぐらをかいていたわけではない」(渡部所長)
 女川原発の事務館は全体が筋交いで覆われているような印象だ。
 2007年7月、新潟県中越沖地震に見舞われた東京電力・柏崎刈羽原発(新潟県)では火災が発生し、鎮火まで2時間を要した。強い揺れで扉がゆがんでしまった事務館(緊急時対策室)に入室できなくなり、初期対応が遅れたのが一因だ。これを受け、各電力会社は免震構造の事務館建設に着手した。
 女川原発でも09年12月に免震構造の事務館を着工したが、旧事務館の追加工事も併せて実施した。
 「1年半後には新しい事務館が完成するのだから、この事務館には手を付けなくてもいいだろう」
 「しかし、新館が完成する前に地震が起きたらどうするのか」「何かあれば、まずいのではないか」
 新館建設が決まった際、社内でこんな議論が交わきれたという。結局、同社は旧館の工事にも踏み切った。
 「震災でけが人も出なかった。工事をやっておいて良かったとつくづく思う。改善を積み重ねること、何か(課題や問題が)あったら、常に対応する姿勢が大事なのではないか」と渡部所長は話す。

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 女川原発は今後、さらに津波対策を強化する。高さ3・2メートルの防潮堤を新たに整備する方針で、敷地標高と合わせると17メートルになる。津波が取水口を通って敷地内に流入しないよう海水ポンプを囲う防潮壁のかさ上げ工事も行う。
 「東日本の太平洋側には多くの原発があり、福島第1原発以外は震災後、しっかりと冷温停止し安全な状態になった。女川原発は、逃げ込んできた多くの地元住民を救ってもいる。津波で原発事故が起きる−と十把ひとからげに考えるのではなく、敷地の高さ、電源設備の新旧、非常用発電機など主要機器の配置など、福島の事故からいろいろな教訓を抽出することが大事だ」。東芝の原子力技術者だった北海道大学大学院の奈良林直教授(原子炉安全工学)はこう話している。 (福田悟)
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