[2011_08_20_01]地震、津波研究途上の60〜70年代 危険はらむ原発立地状態 福島第一 高さ35メートル台地だった敷地 崖削り海抜下の建屋(東奥日報2011年8月20日)
 津波によって大きな被害を受けた東京電力福島第1原発は、海沿いの崖を25メートルも削って海抜0メートルより下の岩盤上に原子炉建屋を追っており、潜在的に津波に弱かったと指摘されている。国内の原発の大半は、地震や津波の研究が進んでいなかった1960〜70年代に立地が決まった場所に次々と増設されており、他の原発でも立地条件のはらむ危険性が見直されていない可能性がある。今後の安全性再点検の中でも重要となる原発立地の問題点。記録や証言を交え、原発黎明(れいめい)期からの課題を探った。

 「海側はすべて崖が屹立(きつりつ)していた。所々崩れており、年平均50センチほど、崖の線が後退しているといわれていた…」。1963年のある日曜日。東京電力の立地担当者は女子社員を連れたピクニックを装い、福島原発(当時)建設予定地をひそかに調査した思い出を書き残している。海岸に高さ約35メートルの台地がそびえ、太平洋の荒波を受け止める。津波とほ無縁の地だった。
 東電は66年末、基礎工事に着手。強度が不十分だった台地を掘削して海抜10メートルの高さに敷地を造り、さらにマイナス4メートルの岩盤まで掘って原子炉建屋を設置。津波の防壁となっていた崖は姿を消し、防波堤を備えた専用港湾が造られた。
 ほかの東電関係者によれば、原子炉冷却用の海水くみ上げなどに要する費用や原子炉圧力容器の海上輸送などを考慮。過去の津波記録に照らして、敷地の高さは十分で、問題ないと判断した。
 だが、原発メーカーの東芝の技術者は69年の論文で、原発建設では想定できる最大の高潮や津波への対策を何よりも重視するべきだと強調。敷地を高くするべきで、防波堤などに頼る対策は信頼性が低いと指摘していた。
 当時の技術的制約から、敷地から岩盤までの深さは10メートル程度が限界だとも指摘しており、岩盤が海抜下にある福島の立地には無理があったことをうかがわせる。
 東電は建設時、津波の高さを約3・lメートルと想定。後に5・7メートルに引き上げたが、震災の津波は海抜14〜15メートルの高さまで駆け上がった。
 今村文彦東北大教授(津波工学)は「第1原発付近はもともと、海岸線が崖でできていて津波の痕跡が残りにくく、過去のデータに基づく想定が難しかった」と指摘。台地の掘削が想定を狂わす一因になっていた、との見方を示している。
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