[2011_08_02_02]繰り返す南海、東南海 2000年前、30メートル津波か(福井新聞2011年8月2日)
 「津波の堆積層が50センチもある。2千年前に何が起きたのか…」。高知県土佐市の蟹ヶ池で、津波が運んだ古代の海砂や生物化石の層を調べていた岡村真高知大教授(地震地質学)が驚いた。
 堆積層1センチは津波の高さ1メートル弱に相当するため、約30メートルの巨大津波が到達した可能性もあるとみられる。調査した過去約5千年分では最大だ。
 南海地震は周期的に操り返すプレー卜間地震。
 間隔は100〜120年で、東海地震と同時に起きることが多い。文献で8回、遺跡に残る液状化跡などからさらに5回以上が判明している。
 「東海、南海が同時発生した江戸時代の宝永地震(1707年)でも堆積層は15センチ。東海の翌日に起きた幕末の安政南海地震(1854年)は3センチだから尋常の規模ではない。台風と重なったり、東海、東南海、南海と日向灘の震源域が4連動した可能性を検討したい」と岡村教授。
 津波は鳴門や豊予海峡を抜け、整戸内海沿岸に到達する。神戸市では今年1月、宝永か安政の津波堆積層が発掘された。
 河田恵昭関西大数授(防災・減災学)は「これまでは安政のマグニチュード(M)8・4が前提だったが、東日本大震災と同様に深いプレートの先端が約500`にわたって割れたり、日向灘を含む4連動が起きればM9・0級もあり得る」と考える。
 M8・4なら大阪に到達する津波の高さは2・4メートルだが、M9・0なら高さ5・5メートル。「山口県上関町で計画中の上関原発には、豊予海峡を抜けた津波が真っすぐに向かうだろう」と河田教授。
 安政地震後に発行された瓦版によると、今の大阪市西部や南部が津波で浸水。大阪湾に停泊していた千石船が津波で川をさかのぼり、橋や人が乗った小船を破壊しながらミナミの道頓堀まで運ばれた。
 河田教授の試算では、M9・0級で大阪市の大半が水没。地下鉄や地下街にもすさまじい勢いで水が流れ込む。「縄文時代は海が今より内陸に入り込んでいた。水は昔を覚えている。洪水や津波で氾濫すれば、もともと海だったところはまた海に戻る」と話した。
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