[1997_10_13_20]反原発運動マップ_石川県珠洲市_珠洲原発計画の経過_柳田達雄●石川県珠洲市_p122〜125(緑風出版1997年10月13日)
 
参照元
反原発運動マップ_石川県珠洲市_珠洲原発計画の経過_柳田達雄●石川県珠洲市_p122〜125

 
◎珠洲の位置と状況
 日本海に突き出た能登半島の先端に位置する石川県珠洲市は、40年余り前に九町村が合併し、人口四万弱で発足した市である。しかし、市制施行後も着実に人口の流出が続き、40年間でついに人口2万3000人、高齢化率25%に至っている。「過疎脱却には原発しかない」という発想は20年余り前の1975年10月、珠洲市講会の全員協議会で「原子力発電所、原子力船基地等の調査に関する要望書」を国に提出することで表面化した。自治体自らによる「原発を誘致したい」という意思表示は大歓迎され、翌年1月には関西電力・中部電力・北陸電力の三社が相次いで珠洲原発構想を発表した。なかでも関西電力の芦原義重会長(当時)は「1000万キロワット級の大原発基地を作りたい」と発言した。さっそく関西・中部電力職員の常駐体制が始まる。
 こうして珠洲原発計画は電力三社と行政が一体となって推進されることになった。行政サイドでは既存原発への視察・研修の助成金制度を設け、市民にタダの慰安旅行を定着させてきたし、原発推進に加担する学者や行政関係者だけを講師として招聘して、きめ細かい講演会や座談会を頻繁に開催してきた。電力会社は日夜住民懐柔につとめてきた。
 ところで、珠洲原発計画には二つの立地計画がある。ひとつは関西電力が担当している高屋(個数約80戸で能登半島先端から外浦、輪島市寄りの所)での立地計画である。今ひとつは.中部電力が担当している三崎町寺家地区(戸数約180戸で半島先端から内浦、富山湾側で市中心部側の所。炉心予定地も発表済みで約40戸の住宅の移転を伴う)での立地計画である。北陸電力は地元の電力ということで、それぞれの計画推進の手引き役を担当している。この二つの立地計画は「車の両輪」として位置づけられてきた。

◎これまでの経過の概略
 計画が発表された直後、現地では住民による反対組織が結成された。また市内の漁協でも反対の意思表示を行なったほか、漁協の青壮年部では署名運動にも取り組んだ。しかし、当初の反対遊動はきわめて短期間にその大部分が懐柔されてしまった。一貫してその意思を貫き通してきたのは「高屋町郷土を愛する会」と「蛸島漁協」(特に青壮年部と婦人部が中心)に過ぎない。一方、組織労働者による反対運動としては珠洲地区労が中心となり社会党珠洲支部などと共に結成した「珠洲原発反対連絡協議会」があり、定期的な手作りビラ配布や講演会開催などが続けられた。
 立地に向けた工作は、住民の説得ではなく「早く具体的な計画明示を」と電力に迫るというところに力点が移っていた。当時は全員が自民党の珠洲市譲会は86年6月に原発誘致決議を行なった。チェルノブイリ事故直後で事故や被害の全貌さえわからない時期の、まさに世界に例を見ない暴挙であった。87年から推進に向けた策動は県当局の強力な後押しもあり、移転に伴う調査や土地の賃貸契約など具体的な段階に入った。88年、寺家ではこうしたやり方に反発する気運が増大していった。また、同年12月、関西電力が翌春から高屋で事前調査を開始すると発表したこともあり、にわかに反対運動が再燃する状況が生まれた。
 89年1月、市民グループによって「止めよう原発! 珠洲市民の会」が結成され、同年4月の市長選挙に当時無名の青年だった北野進氏を擁立した。北野氏(6295票)の他にも原発反対を掲げた保守系候補(2165票)があり、両者の合計票は51・3%と、原発推進の現職を圧倒した。誰もが、原発推進の動きは止まると受けとめた。
 しかし同年5月12日、関西電力は高屋での事前調査を強行しようとした(6月16日、中断発表)。
 高屋での事前調査を阻止する運動は珠洲市全域に広がった。連日現地には多数の市民が集まり、事実上、調査を阻止した。また、行政に対しての意思表示は40日間の市役所占拠となった。電力と話し合ってくると言ってひそかに金沢の病院に逃避していた市長を待ち続けた行為であった。
 この間、市内に多くの原発反対のグループが結成され「珠洲原発反対ネットワーク」ができた。その後の運動の母体となっている。

◎現在の状況
 90年4月の統一地方選挙では、県議会員珠洲市郡選挙区(定員二名)で原発反対を掲げた北野進氏が現職二名の一角を崩して当選。続く市議選では一挙に四名の反原発議員を誕生させた。そして93年4月、元校長の樫田準一郎氏を擁して市長選挙を戦った。しかし、危機感からなりふりかまわない現職陣営の悪行の前に当選を果たすことはできなかった。選管をも巻き込んだ疑惑の大きい選挙(投票総数が二転三転、不正用紙混入の疑惑)については「不正選挙を糾明する会」を結成、市選管、県選管に異議申し立てを行なったが棄却され、名古屋高裁金沢支部に訴えた。95年12月、選挙は無効とする勝利判決。県選管が上告したが、最高裁でも96年5月、上告を棄却した。しかし7月に実施されたやり直し選挙では、出馬を断念した現職に代わって推進派が擁立した市の総務課長が当選。反原発市長を誕生させることはできなかった。前回以上に金を使い、助役の逮捕・起訴に象徴される市役所ぐるみの選挙だった。
 とはいえ、原発が争点となる国政選挙では常に半数に近い票を結集、また94年3月の知事選挙では一定程度の政策協定を評価し谷本候補を支持し、その当選を実現した。それまでの原発立地推進施策が県によって強行されることは、当面ないといえよう。95年4月の統一選挙では、県会議員に北野氏が無競争当選を決めたのをはじめ、市講選でも擁立した五名全員の反原発議員を誕生させることができた。
 しかし、電力や行政は依然として水面下で策動を続けている。盛んにアメを振り撒き「共存共栄」をこびる電力の、其の狙いは「廃棄物処分場」にあるのでは?という疑惑は消えない。

[珠洲市]
 面積247・15平方キロメートル、人口2万3045人(1996年3月末現在)。能登半島の東北端にあり、穏やかな内浦、荒々しい外浦ともに景勝の地。海岸線の多くが能登半島国定公園となっている。古代からの遺跡も多い。

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