[2004_05_09_01]原子力を問う 日本からの報告 原発の立地 半島の2計画 正反対の結果(中国新聞2004年5月9日)
 
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原子力を問う 日本からの報告 原発の立地 半島の2計画 正反対の結果

 半島の2計画 正反対の結果

 関西、中部、北陸の3電力が石川県珠洲市に共同で計画していた珠洲原子力発電所の建設が昨年12月に凍結された。一方、北陸電力が設置した志賀原発(同県志賀町)では2号機が2006年3月の運転開始を目指して工事が進んでいる。同じ能登半島に計画された両原発。スタートしたタイミングはわずか8年の差にすぎなかったが、約30年たった今、一方は2基目が稼働目前にこぎつけ、もう一方は調査にも入れず撤退―と、まったく異なる結果を生んだ。(編集委員・宮田俊範、写真も)

 迷走28年 対立の傷

 能登半島先端の禄剛埼灯台にほど近い珠洲市高屋地区は、一本の県道と漁港を中心に約70軒の家屋が立ち並ぶ漁村。灯台を挟んで反対側にある三崎地区とともに、28年にわたる珠洲原発計画の予定地となっていた。
 その歴史を物語るのは、反対派住民が電力会社の動きを監視するため建てた見張り小屋ぐらい。今は静かな漁村の営みに戻っている。
 珠洲市は3月末、計画凍結を受けて1991年から設けていた電源立地対策課を廃止した。同時に市を定年退職した「最後の課長」の徳間勝則さんは「この28年間、市民は推進、反対の立場を問わず、大なり小なり影響を受けてきた。今となってはこの28年間がいったい何だったのか、と問わずにはいられない」と口調を強めた。
 計画は、市議会全員協議会が1975年に適否調査を国に要望し、事実上の原発誘致を表明したことに始まる。当時は隣の福井県で日本原子力発電の敦賀原発や関西電力の美浜、高浜原発などが相次いで運転開始。第一次石油ショックで石油も高騰し、国は原発建設を急ぐ状況にあった。
 珠洲市は1954年に九町村が合併して市制を施行したが、当時は合併時の人口3万8000人から2万8000人へと1万人も減少。能登半島の最先端という地理条件が災いして激しい過疎に見舞われ、高度経済成長から取り残されていた。徳間さんは「今では人口が二万人を切っている。企業進出が見込めない中、原発誘致に過疎対策を託す以外に、どんな方法があっただろうか」と説く。
 過疎脱却の願いを込めた原発誘致。しかし、1979年に米スリーマイル原発事故が起き、三電力が本格的に立地活動に動き始めたのは84年からと遅れた。続く1986年には旧ソ連のチェルノブイリ原発事故。地元の反対運動は盛り上がった。
 関西電力は1989年に高屋地区で立地可能性調査を手掛けようとしたが、反対派住民約300人が市役所の一部を40日間にわたって占拠。結局、調査に入れず、計画は具体化しないまま昨年12月の計画凍結を迎えた。
 電力三社が計画凍結を珠洲市に申し入れた日の夕方、徳間さんに経済産業省から一本の電話がかかった。「今日から交付金は使わないでもらいたい」。国の要対策重要電源地点の指定が取り消されることが決まり、交付金の使用を差し止める通告だった。徳間さんは「われわれは国策に長年協力してきた。電力会社は冷たいが、国もさらに冷たい。これでは国策に協力する自治体などなくなる」と語気を荒げた。
 珠洲市から車で約二時間、能登半島中央部にある志賀町では今、志賀原発2号機の建設が82.6%まで進んだ。総工費3750億円。出力135万8千キロワットの最新の原子炉とあって、見学者はこれまでに6万8000人に上る。
 志賀原発建設所長を務める辻井庄作取締役は「2号機の建設はスムーズに進んでいるが、計画が最初から順調だったわけではない。それどころか全国で最も難航した原発だった」と明かした。
 計画開始は高度経済成長の最中の1967年にさかのぼる。当時の中西陽一・石川県知事と金井久兵衛・北陸電力社長がトップ会談で決め、「能登と加賀の格差是正」との狙いも込めて始まった。
 だが、建設予定地は二転三転。さらに原発の敷地が人家近くまで押し寄せるため、地元の赤住地区の住民が賛成、反対に分裂してしまった。
 原発受け入れの是非を問うため、1972年には地区住民約340人による日本初と呼ばれた「住民投票」を実施。しかし、どちらに決まってもわずかの差となることが予想され、いっそう混迷しかねないと判断した石川県は開票せずに投票を破棄する調停案を示した。地区総会もこの勧告を受け入れ「幻の住民投票」となった。
 辻井取締役は「今では投票結果を知るよしもないが、赤住地区の住民はその後も何度も協議を繰り返し、最終的には同意してくれた。今では地区住民で原発内の食堂で働く会社を運営するほど協力してもらっている」と説明。1号機は計画開始から着工まで当時としては全国最長の21年がかりだったが、2号機では建設申し入れから六年で済んでいる。
 同じ能登半島に計画されながら、正反対の結果となった珠洲原発と志賀原発。珠洲原発の凍結は地元合意が図れず、高屋地区と三崎地区でそれぞれ1〜2割の未買収用地が残ったことが直接の原因であり、間接的には志賀原発よりわずかに遅れたタイミングが、その後に国内外で起きた原発事故や電力自由化などの影響の大きさの違いとなって表れたといえる。
 28年にわたる計画の迷走は市民に対立の傷跡を残した。推進、反対の立場を問わず、多大な徒労感をもたらしたことも確かである。

 世界でも珍しい交付金

 過疎対策 試算で1000億円

 珠洲市をはじめ、原発誘致を計画した自治体の多くは過疎に悩んでいることで共通している。その自治体の狙いは過疎対策の財源となる交付金・固定資産税の獲得であり、モデルケースでは20年間で総額約900億円に上る。原子力推進はエネルギー安定供給などを図るための「国策」だが、世界でも類を見ない巨額の国費投入で支えられているのが実態だ。
 国は1974年に設けた電源開発促進税法、電源開発促進対策特別会計法、発電用施設周辺地域整備法のいわゆる「電源三法」に基づき、原発が立地する自治体や周辺自治体に交付金、補助金を出して立地促進を図ってきた。
 ただ、立地の段階や使う目的などによって電源立地等初期対策交付金や電源立地促進対策交付金などさまざまに分かれ、使途も決められていた。制度が複雑で使い道も道路やスポーツ施設の建設などハード整備中心との批判が根強く、昨年10月から電源立地地域対策交付金に一本化。地場産業振興や観光開発、老人福祉サービスなどソフト事業にも使えるように変更された。
 自治体にどれだけ交付金や固定資産税が入るのか―。資源エネルギー庁が出力135万キロワット、建設費4500億円、建設期間七年で試算したモデルケースでは、20年間で総額893億円となる。内訳は、電源立地地域対策交付金が545億円、固定資産税が348億円だ。
 年次別では、環境影響評価開始の翌年度から着工前までの交付金は五億円余で、着工すると50億円以上にアップ。固定資産税が入る運転開始の翌年度は70億円台にアップしてピークを迎える。それから次第に減っていき、運転開始十年で半減状態となる。
 原発の運転は現在、30年から60年へと延長され始めている。百万キロワット級原発が立地すれば、自治体に入る収入は廃炉になるまでには総額一千億円を超えることになる。
 電源立地地域対策交付金以外にも、企業への低利融資や雇用増加につなげる地域振興事業の支援などさまざまな種類の交付金、補助金の制度がある。これらは、電力会社が販売した電力量に応じて国に納める電源開発促進税(一千キロワット時当たり425円)が財源だ。つまり、消費者が電気料金の一部として負担している。
 2004年度予算では、電源立地地域対策交付金だけで1124億円が計上されている。欧米では立地地域へのこうした巨額の交付金は珍しく、フィンランドのように固定資産税率などで立地地域を優遇している程度。原発の誘致は主に雇用対策や経済波及効果への期待が中心である。
 一方、日本の制度では運転開始後10年、20年とたつと自治体の収入が細る。このため地元は再び原発の建設を求めがちであり、集中立地が目立つ背景には、こうした交付金制度の存在がある。

 電力全般で協力期待 −日本原子力産業会議会長 西澤潤一氏

 原子力の新増設計画が進まない背景や信頼回復の方策などについて、元東北大学長で電気通信工学の世界的権威である日本原子力産業会議会長の西澤潤一氏に聞いた。

 ―原発の立地が計画ほど進んでいませんね。
 私は1995年の「もんじゅ」事故で原子力委員会の高速増殖炉懇談会への参加を要請されて以来、原子力にかかわってきた。日本経済がバブル崩壊で「失われた十年」と言われたように、原子力も「失われた十年」だ。もんじゅの事故後、くだらない事故やトラブルが続いて国民の信頼を失った。それが最大の理由となっている。

 ―原子力は一流の技術者が集まっているといわれるのに、なぜこんな事態が起きるのですか。
 どうも日本人は権力を持つと自ら特権階級になる傾向がある。よく吟味もせずに原子力は特別だという意識ばかり強いから、自分の意見が当然、通るものだと勘違いする。そこに国民の信頼を得られない理由が隠されている。大事な仕事であればあるほど自己中心主義で進めては困るのに、おかしなことだ。
 くだらない失敗をする原子力関係者は偉そうに語る資格はない。しかし、関係者は割りかた、けろっとしていて、反省すべき人が反省していない。その根底から正していかないと、とても国民の信頼は取り戻せない。

 ―「国策」を掲げる政府の在り方に注文は。
 われわれが暮らす社会に対する責任感が欠落している。これは原子力に携わる関係者全般にも当てはまることだが、責任の感じ方が弱い。だから事が起きればその担当部門ばかり増やすことで対処し、かえって責任の所在をあいまいにしてしまう。国は結果的に安全監視組織ばかりが焼け太りだ。本来、まず先に原子力について骨太に論議することが必要なはずだ。

 ―国民的論議ですね。
 その通り。これまでは骨太の論議や発想がなかった。あまりにショートレンジで目先のことにしか興味を持たない。日本が国際競争に耐えていく中で原子力を将来どう位置づけるべきか、骨太に論議していかないといけない。その点で、国民に問い掛け、きちんと研究も続けるフランスを見習わないといけない。

 ―論議では核燃料サイクルが焦点になります。
 まず、それが採算ベースに乗るかどうか見極めることが大切だろう。私が高速増殖炉懇談会でなぜもんじゅを動かせと言ったかといえば、あれは実験炉だからだ。実際に動かしてデータを取るための炉であり、再処理が直接の目的じゃない。早く動かしてデータを取ったら、早く廃炉にすればいい。きちんとしたデータを得たうえで、これからどうすべきか論議することが本筋だ。

 ―大学での原子力研究も縮小傾向です。
 最近は原子力工学科を訳の分からない学科名に変えているが、それ自体が大学教授の責任感の欠如だ。世の中に必要と考えるなら、なぜどうどうと主張しないのか。大学が最初に尻尾を巻いて逃げ出すから原子力を目指す若者がいなくなる。
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