[1979_11_22_01]巨大開発へ第一歩 むつ小川原石油備蓄基地 来春に本格工事着手 起工式、地鎮祭行う 「活断層存在せず」 徳永総裁 「基地テコに対応」 北村知事(東奥日報1979年11月22日)
 
 むつ小川原石油国家備蓄事業の第一歩を記す備蓄基地建設地鎖祭と起工式が21日、上北郡六ヶ所村の現地と野辺地町で行われ、国、県、地元市町肘などの関係者多数が大規模プロジェクトのスタートを祝った。同事業は昭和57年度までに原油560万キロリットル容量のわが国第一号の陸上備蓄タンク群を建設するもので、むつ小川開発による地域振興等を標ぼうする県は、開発計画実現への第一段階としてその先導的役割を評価している。しかし、内外の厳しい経済環境の中で後続する基幹型工業の導入見通しは楽観を許されず、なお多くの課題を抱えているのが実情である。
 石油国家備蓄は、緊急時における石油の安定供給を確保するため、国が義務づけた民間企業による90日備蓄(本年度末達成目標)に加え、昭和57年度末までに十日分の1000万キロリットルを上乗せするもの。中・長期的には3000万キロリットルの備蓄を行い、西欧先進国の平均水準となっている120日分の確保を目標としている。昨年六月に石油開発公団法が改正され同計画がスタート、当面する一千万キロリットル備蓄の基地候補地として全国四カ所が浮上したが、地元受け入れ態勢の状況から本県のむつ小川原地区が第一号基地として決定を受けた。
 同日のセレモニーは、同基地健設の前段である用地造成工事等の着手を記すもの。午前十時半から六ヶ所村弥栄平の建設予定地内で地鎮祭が行われ、事業主体である石油公団の徳永久次総裁、むつ小川原開発株式会社の阿部陽一社長、工事受注者である鹿島建設等の共同企業体、また道路建設を請け負った県内の共同企業体等の関係者らがクワ入れ、玉グシ奉納など神事を行い、工事の無事を祈願した。引き続き正午過ぎから野辺地町の馬門温泉ホテルで関係者約300人が出席して起工式が行わ.れた。
 徳永総裁は「石油をめぐる厳しい国際情勢に対し、わが国が比較的冷静に対応できているのは、第一次オイルショックを契機にスタートした備蓄の役割に負うところが大きい。現在、九十日の民備はおおむね達成しつつあるが、今後なお情勢は予断を許さず、国家備蓄の増強が急がれる。基地建設工事は雪解け後の来春から本格化.することになるが、立派な仕事ができるものと期待している」とあいさつ。さらに最近表面化した「活断層」問題を特に取り上げ「公団としても専門学者らに信頼できるデータで解析してもった結果、そのようなものはないーとの太鼓判を押してもらっている。しかし、今後ボーリング等による調査など入念な措置を講じ、安全、防災対策に万全を期していく」と異例の”安全宣言″を行った。
 このほか阿部社長は「ここに至るまで漁業補償、農地問題など困難な問題があったが、備蓄基地という開発計画の初の立地を迎えることができた。今後は関係機関と連絡しながら、これに続く企業立地を進めていきた」述べた。通産大臣、国土庁長官(各代理)に続いて北村知事が「国備事業はあくまでむつ小川原開発の一環として受け止めている。関連産業の誘導に努力し、目標通りの計画実現を図っていきたい」と祝辞。また、寺下岩蔵参院議員、秋田正県議会議長、古川伊勢松六ヶ所村長が祝辞、公団側から工事計画の概要説明があったあと乾杯し、事業のスタートを祝いあった。
 むつ小川原石油備畜基地起工式のあと記者会見した石油公団の徳永総裁、北村知事は「活断層」問題や今後の開発計画方針などについて所見を述べた。
 ▽徳永総裁=活断層については、開発計画作成の段階で国、県などが専門家による調査を実施させており、その結果、石油タンク基地として設定が決まったものだ。しかし、学者の指摘があったので改めて公団が専門の学者、技術者を集めて信頼できる調査データに基づく検討を行った結果、活断層はないーとのことだ。相手(活断層を指摘した新潟大・藤田至則教授ら)から合同調査の要請があっても、われわれの要請に対して十分なデータ説明等をしないようでは、対応はできかねる。同地区の備蓄量増強計画は、全国二千万キロリットルの備蓄が終わる段階で具体的な話になると思う。土地条件など整っているので評価の際、有利な条件となると思うが、いずれにしろ二、三年先の話だ。
 ▽北村知事=開発関連の地域振興は、これまでに心がけてきたが、今回の基地建殻を契機にさらに進めていく。当面は建設関連業などに利益をもたらすと思うが、その際にも秩序ある対応をしていく。開発第二次基本計画の見直しは今の段階では必要ないし、これまでの胎動期から移行して、今後は経済的波及効果を広げていくことになる。当面は、備蓄事業をよりどころにして今後の対応を進めていく方針だ。

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