【記事57972】道半ばの噴火予知(島村英紀2017年8月11日)
 
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道半ばの噴火予知

 火山噴火予知に日本でもっとも成功した北海道・有珠山(733メートル)。この前の日曜日に1977(昭和52)年の噴火から40周年の記念集会が地元で行われた。
 噴火が起きたのは8月6日。地元全員が避難していたので、この年の噴火では犠牲者は出なかった。
 火山の北側には温泉や洞爺湖などの観光地が迫っている。観光シーズンだったし、もし避難が遅れれば、大惨事になるところだった。
 この噴火予知が有利だったことがある。有珠山では噴火の前に有感地震(身体に感じる地震)が起きてから1〜3日で必ず噴火したことだ。
 1977年の噴火のときにも、32時間前から有感地震が起き、噴火が近いということが分かった。警告が出て、人々が避難していた。
 そのあと、2000年に起きた噴火でも、直前に有感地震があって、人々が避難した。このため犠牲者は出なかった。前回からは23年目の噴火だった。
 だが地震があっても噴火しなかったこともある。福島・磐梯山(1816メートル)では、2000年に火山性地震が急増して一日400回を超えた。40年前にここに地震計が置かれて以来、最も多い地震だった。しかし、磐梯山は噴火しなかったのだ。
 有珠山は360年前から7回、噴火を繰り返してきた。その間隔は短かく、比較的一定だった。人々に「そろそろ次が・・」という心の準備をさせるのに役立っていた。
 これはほかの火山ではいつもあることではない。もっと不等間隔の噴火が多い。たとえば東京・三宅島はこの500年間、17〜69年というまちまちな間隔で13回の噴火を繰り返してきた。
 さらに、2000年の大規模な噴火はそれまでとは違った。噴火が10年以上ずっと続いていて、17年後の今になっても、いまだに帰島できない人々がいる状態が続いている。
 近年の有珠山では噴火予知に「成功」したものの、成功したのは「噴火の前には地震が起きた」という経験だけからの予知なのである。
 地下でマグマがどう動いて、どう噴火に至るのかというそれぞれの段階での学問的な解明がまだ出来ていない。
 それに、有珠山でもいつも同じような噴火が繰り返されてきたわけではない。2000年は小規模なマグマ水蒸気噴火、1977年は中規模なマグマ噴火だったが、二回前の1943〜1945年はマグマ噴火、三回前の1910年は中規模な水蒸気噴火と、噴火の様式やその規模は一回ごとに違っている。
 もっと前の1822年の大規模な噴火では火砕流が出て約100人が犠牲になった。この1822年の噴火と1853年の噴火は、その後の噴火よりもはるかに規模が大きく、噴出物の量は東京ドーム250杯分を超えた。
 また、1663年の噴火はもっと大きかったが、その前には一万年もの長い休止期があった。つまり、「間隔が短くて比較的一定」で噴火が起こり続けてきたのは、近年だけなのである。
 一般的な噴火予知への道はまだ遠いと言うべきだろう。

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