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「東電」という名の“ゾンビ”はどこまで国民の懐をむさぼり続けるのか 柏崎刈羽原発再稼働への不可解な執着 町田徹


東電の”暴挙”再び

 深刻な原子力事故を起こして原発の全国的な運転停止を招いた東京電力が、事故機と同じ「沸騰水型(BWR)」原発の保有事業者4社に先駆けて、原発の運転を再開するという“暴挙”が現実味を帯びてきた。
 手を貸しているのは、失墜した原子力行政に対する信頼を回復するために設置されたはずの原子力規制委員会だ。
 共同通信や日本経済新聞によると、同委員会は先週火曜日(8月23日)までに、東電・柏崎刈羽原発6、7号機の新規制基準に関する審査を他社原発より優先して進める方針を決め、その意向を関係各社に伝えたという。審査が順調に進めば、来年中にも、東電が原発を再稼働する見通しだ。
 しかし、東電は福島第一原発事故の最中に、社長指示でメルトダウン(炉心溶融)の事実をひた隠しにした会社だ。今なお、肝心の事故原因は藪の中である。しかも、巨額の公的支援を受けているにもかかわらず、損害賠償や廃炉といった事故処理が遅れている。さらに、他の原子力事業者の収益の足を引っ張るだけでは足らないとばかりに、公益資金返済に充てるべき稼ぎを顧客の囲い込みキャンペーン費用に流用するなど、やりたい放題だ。
 本当に安全が確保できるならば、多様なエネルギーの確保の観点から、柏崎刈羽原発の有効活用は検討に値する。とはいえ、株式会社として淘汰されるべきだった東電が、規制委員会の特別扱いを受けて、BWRのトップをきって運転再開に漕ぎ着けるというのは、政府と国営東電の癒着を想起させかねない話だ。同時に、国民の原子力不信を再燃させる可能性もある。

原子力事業者にもデメリット

 大別して、原発にはBWRと圧水型(PWR)の2タイプがある。
 このうち、国内でこれまでに再稼働に漕ぎ着けたのは、すべてPWR型原発だ。九州電力が昨年秋に運転を相次いで再開した川内原発1、2号機、四国電力が今月半ばに運転再開した伊方原発3号機、運転再開に必要な原子力規制委員会の新規制基準審査にはパスしたものの、大津地裁が運転を差し止めている関西電力の高浜原発3、4号機など、これまでに規制委員会の審査に合格した原発は、すべてPWR型原発である。
 一方のBWR型原発は、当初は、原子力史上最悪の事故を引き起こした福島第一原発と基本設計が同じという理由で、審査が後回しにされた。
 その後も、BWR型原発には、PWRのような猶予措置が認められず、緊急時に放射性物質の大半を除去したうえで格納容器内の気体を外部に放出することが可能な「フィルター付きベント装置」など、新たな設備を審査の段階で設置することが義務付けられた。このため、東電のほか、BWR型機を保有する中部電力、東北電力、中国電力、日本原子力発電の4社が今なお、審査にパスできない状況にある。
 仮に、柏崎刈羽がパスすれば、BWR型原発の新規制基準適合のひな形となるため、他の原子力事業者も試行錯誤の現状を抜け出しやすくなるメリットはある。しかし、程度の差こそあれ、福島第一原発事故が原因で運転停止を余儀なくされ、その状態が長引いたことにより、これら4社の経営は大きく圧迫されてきた。
 さらに、今回の東電に対する優先措置で、4社の原発の運転停止が一段と長引き、収益の改善や利用料金の値下げの可能性が遠のくなど、原子力事業者にとっても「デメリットの方が大きい」(原子力事業者の広報部長)と懸念を強めている。

賠償金は国民・消費者が肩代わり

 東電の場合、拙著『東電国有化の罠』や本コラムで何度も指摘してきたように、2011年3月11日に起きた福島第一原発事故に伴い、膨大な損害賠償が必要なことが明らかになっており、会社更生法を適用して破たん処理を行うのが資本主義の原則だった。
 事故前のバランスシート(2010年12月末)をみると、破たん処理による100%減資で3兆175億円の株主資本を流動化できるほか、使用済核燃料再処理等引当金(1兆1,976億円)、使用済核燃料再処理等準備引当金(430億円)、資産除去債務(7,721億円)を転用すれば5兆302億円をねん出できた。仮に、福島第一原発の設備や燃料の減損処理に約1兆円を費やしたとしても、東電自身の資金で4兆円の損害賠償が可能だったのである。
 これらは、東電救済派が声高に懸念の声をあげた社債(4兆5,046億円)のデフォルトや、日本航空(JAL)の破たん処理で断行された前例のある金融機関の債権カット(長期借入金1兆5,666億円、1年以内に返済する固定負債1兆151億円、短期借入金3,846億円の合計で2兆9,663億円)を一切行わずに調達できる資金だった。
 ところが、政府は東電の責任を追及せず、曖昧にした。翌2012年7月末付で『原子力損害賠償支援機構』(今年8月18日付で『原子力損害賠償・廃炉等支援機構』に改組)を通じて、東電に1兆円の出資を断行。議決権の過半数(50.11%)を握り、同社を事実上国有化した。
 同機構は、東電の財務体質の悪化を覆い隠すため、「バランスシート上の借入金扱いをしない」という“資金”の“交付”を繰り返している。今年度に入ってからは毎月1回、1回に付き315億円から852億円を交付しており、直近の交付総額は6兆1,984億円に達している。
 しかも、この交付金を実際に支払っているのは我々だ。機構の資金は、資本金140億円、政府が貸与する「交付国債」、政府保証による借入金と社債、東電が支払う「特別負担金」、東電を含む原子力事業者が支払う「一般負担金」で賄われている。
 このうち一般負担金は電力会社の原価として電気料金に転嫁され消費者が負担する仕組みになっている。結局のところ、東電が破たん処理されなかったため、我々国民が税金で、また消費者として電気料金で、両面から肩代わりを強いられているのだ。
 半面、東電は今年春先、電力の小売り自由化が4月からスタートするのを睨んで、巨額の公的資金の返済に充てるべき収益を、新規ユーザー獲得や既存ユーザーの囲い込みに転用する営業戦略を展開。他事業者から「アンフェアだ」と厳しい批判を浴びた。
 東電ホールディングス傘下の送配電事業者が速やかに新電電に通知すべき利用者の使用量データの連絡が遅れ、料金請求ができないと複数の事業者から賠償請求される騒ぎも起きている。

「原発事故の総括が済んでいない」

 さらに、忘れてはならないのは、福島第一原発事故の最中に、当時の清水正孝社長の指示でメルトダウン隠しをしていた問題だ。
 この問題について、東電は今年6月の第3者検証委員会報告書で、「首相官邸」関係者の指示があったと責任転嫁を試みた。ところが、同委員会が、問題の「首相官邸」関係者にまったくヒアリングしなかったことが判明、当時の官邸関係者が事実関係を否定すると、数日経って東電は非を認める始末だった。
 それから2ヵ月あまりを経た8月25日のことだ。前日付で規制委員会が柏崎刈羽原発を特別扱いすることが報じられ、残る最大のハードルがかねてから東電に対する不信感を隠さない泉田裕彦新潟県知事の再稼働への同意取り付けとなったことを受けて、東電はようやく重い腰をあげた。
 姉川尚史常務ら3人が同知事を新潟県庁に訪ねて「メルトダウン隠し」に言及、第3者委員会の杜撰な報告内容も踏まえて「自らの手で事実を解明して、きちんと回答できなかったことについて、お詫びする」と謝罪したという。併せて、当時からメルトダウンを定義するマニュアルが存在したにもかかわらず、「定義がない」と答えたことも謝罪した。
 しかし、泉田知事は「メルトダウンしているかどうかは住民避難の判断に極めて重要な情報で、5年間も認めてこなかったことは非常に残念だ」と述べて、改めて東電を批判したという。新潟県は月内にも、東電と合同委員会を開いて、第3者委員会が明らかにできなかった点などを検証する構えだ。
 泉田知事は東電との面会後、「原発事故の総括なしには柏崎刈羽原発の再稼働の議論はできない」と突き放したという。

政府・東電の目論見

 我々は、柏崎刈羽の再稼働の行方だけでなく、なぜ、政府や東電が柏崎刈羽の再稼働にここまで執着しているのかにも目を向ける必要がある。
 というのは、難航している福島第一原発の廃炉問題のうち、溶けて落下した核燃料や原子炉の構造物が冷えて固まった「核燃料デブリ」の取り出し方針を決定するデッドラインが、来年6月に到来するからだ。
 廃炉・汚染水対策関係閣僚会議が昨年6月に改訂した「中長期ロードマップ」で規定しているもので、これまでの政府の見積額(廃炉・汚染水対策で2兆2,048億円)を大きく上回る費用の必要性もあわせて明らかになる可能性が高い。
 ちなみに、廃炉費用については、老舗シンクタンクの日本経済研究センターが2011年4月のレポート『既存原発止まれば、影響10年単位に』で、最大で「15兆円」に膨張するリスクを早くから指摘していた。最近でも「8兆円〜10兆円は必要」(中堅エコノミスト)との見方が有力だ。
 廃炉費用が大きく膨らめば、現状の『原子力損害賠償・廃炉等支援機構』の資金供給力では間に合わず、新たな国民・消費者負担を迫られることになるだろう。
 そこで、政府・東電は、国民や消費者に一段と重い負担を強いる際に、東電にも応分の負担をさせると釈明するために、柏崎刈羽を早期に再稼働させて増収を図る道を確保しようと目論んでいる可能性が高いのである。
 そもそも破たん処理すべきだった東電の“ゾンビ企業”化はいったい、どこまで国民、消費者の懐を痛め続けるのだろうか。不透明さは募る一方である。

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