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日本人が初めて体験した巨大地震 阿蘇山の「連動噴火」は起こるか 連鎖が起こっていった熊本、阿蘇、大分の次にあるのは愛媛県 ここには中央構造線のすぐ近くに伊方原発がある 熊本から南西に中央構造線をたどると鹿児島県 ここは川内原発からそう遠くはない 島村英紀(武蔵野学院大学特任教授)


 「iRONNA(いろんな)」(総合オピニオンサイト)に掲載された文章。
 島村英紀さんのHP「 http://shima3.fc2web.com/ 【最新のトピックス】」より転載

◯「阪神・淡路」と同じ最大級の直下型地震

 4月14日の夜、熊本市で震度7の地震が起きた。マグニチュード(M)は6.5であった。震度7は、1949年に新たに気象庁が導入して以来、3回しか記録されたことはない。今回のものは2011年に起きた東日本大震災(地震の名前としては東北地方太平洋沖地震)以来5年ぶりで4回目になる。
 ちなみに、震度7とは、日本の震度階では最高レベルだ。つまり「青天井」でどんな大きな揺れでも震度7なのである。
 4月16日までは、熊本で起きたM6.5の地震は「本震」と言われた。本震と余震は「布田川(ふたがわ)断層」と「日奈久(ひなぐ)断層」の2つの活断層が起こしたと報じられた。
 だが、16日になってから、さらに大きな地震が起きた。Mは7.3。この大きさは内陸直下型地震としては最大級で、たとえば阪神・淡路大震災を引き起こして6400名以上の犠牲者を生んだ兵庫県南部地震と同じ地震の規模である。
 気象庁は、16日になって、このM7.3の地震を「本震」とし、前に起きたM6.5の地震と、16日のM7.3の地震の前までに起きた余震を、すべて「前震」とする、と発表した。つまり後から大きな地震が起きたので、それを「本震」としたのである。
 だが、前震だとしても、それらを前震として認識できなかったことは明らかで、その後、もっと大きな地震が襲って来ることは予想できなかったことになる。
 さらに、その後16日には、熊本の2つの活断層から北東に離れた阿蘇山の近くでM6に近い大きな地震が2回起き、さらに北東の大分県中部でも震度5弱を記録した地震が起きた。これらは、熊本で起きている地震の余震域の外で起きた地震で、明らかに熊本の地震の余震ではない。新しい地震活動が始まったと言うべきであろう。
◯定義や認定があいまいな活断層

 そもそも、布田川断層と日奈久断層の2つの活断層は「中央構造線」という活断層群の一部なのである。
 中央構造線は長野県に始まって名古屋の南を通り、紀伊半島を横断し、四国の北部を通り、九州に入って横断する活断層群である。詳しく調べられているところでは布田川断層と日奈久断層のように、場所ごとに別の名前がついている。
 活断層は一般に、枝分かれしたり、途切れたりするのが普通だ。活断層の長さや枝分かれをどう認定するかは学者によって異なる。
 このため、たとえば原子力発電所を作る前に「活断層の長さ」から「その場所で起きる最大の地震」を決めることが行われているが、「活断層の長さ」には学者による任意性が大きく、この手法には強い疑問が出されている。
 また、活断層はその定義が「地震を起こす地震断層が浅くて地表に見えているもの」というものだから、首都圏や大阪、名古屋など、川が土砂を運んできたり、海の近くだったりして堆積層が厚いところでは、「活断層はない」ことになっている。
 このため、阿蘇山の近くのように厚い火山噴出物をかぶっているところでも、やはり活断層は見えない。
 これに反して、詳しく調べられているところでは布田川断層と日奈久断層のように、場所ごとに別の名前がついているが、全体としては中央構造線は日本で最長の活断層なのである。長さは1000キロを超える。
 この中央構造線は地質学的には地震を繰り返して起こしてきたことが分かっており、その結果として、たとえばその南北で別の岩が接しているなど、この活断層の南北で山脈や川筋が食い違っている。これはこの活断層に沿って繰り返して起きてきた地震の結果である。

◯「中央構造線」で初めて体験した巨大地震

 この大断層の西端に近い熊本で起こった4月14日の地震は、日本人が中央構造線で初めて体験して被害を生じた地震だった。
 つまり、この長大な活断層が起こした地震を日本人が体験して史実として書き留めた例はなかった。日本人が住み着いたのは約1万年前、記録を残しているのはせいぜい1000〜2000年ほどなので、この大断層が地震を繰り返してきた時間の長さに比べて、あまりに短い間でしかないのだ。
 その意味では、2014年に起きた長野県・白馬村の地震と似ている。この地震はM6.7。こちらは「糸魚川−静岡構造線」という、やはり長大な活断層群で起きて、日本人がはじめて大きな被害を受けた地震だった。この地震は神城(かみしろ)断層という糸魚川−静岡構造線の一部の活断層が起こした。なお、気象庁はこの地震には名前をつけなかったので、長野県北部地震とも呼ばれている。
 ところで、このような長大な活断層群では、日本列島全体がいくつかのプレートに押されることによって、それぞれの小部分ごとに地震を起こすエネルギーが溜まっていっている。そして、岩が耐えられる限界を超えると地震が起きる。つまり地震が起きることによって、溜まっていたエネルギーが解放されるのである。
 そして、ある部分で地震が起きたことは、同じような理由でエネルギーが溜まっているその隣の部分にとって「留め金が外れた」ことを意味する。つまり、地震が起きた部分の隣で、地震が起きやすくなるのである。
 今回、中央構造線のうちの熊本の部分で地震が起き、2日後に阿蘇に、そして大分に、と地震が広がっていったのは、この理由なのではないかと考えられる。
 もちろん、「隣の部分」に、まだ十分の地震エネルギーが溜まっていなかったら、この連鎖は起きない。残念ながら、いまの地球物理学では、地下にどのくらいの地震エネルギーが溜まっているかは分からない。
 ところで、心配なのは、連鎖が起こっていった熊本、阿蘇、大分の次にあるのは愛媛なのである。ここには、中央構造線のすぐ近くに伊方原発がある。また、逆に熊本から南西に中央構造線をたどると鹿児島県に入る。ここは川内原発からそう遠くはない。
 地球物理学者としては、「連鎖の次」を恐れているのである。

◯相前後して起こる火山噴火と大地震

 4月16日、阿蘇の近くで大きめの地震が起きた同じ日に、阿蘇は1ヶ月ぶりに噴火した。ただし、大きな噴火ではなかった。
 地震と火山は両方とも地下でプレートがらみ、あるいはその結果としての活断層がらみで起きる現象だから、なにかがつながっているのに違いないのだが、残念ながら現在の地球物理学では、地震と火山がどうつながっているかはわかっていない。
 地震は活断層に地震エネルギーが溜まっていき、その岩が耐えることが出来る限界を超えると起きるという、いわば直接的な関係である。
 これに対して、火山の場合には、マグマが地下で作られる。だが、そのマグマがそのまま上がってきて噴火するわけではなくて、上がってくるときにいくつかの「マグマ溜り」を作りながら上がってくる。そして、いちばん上にあるマグマ溜りのなかで圧力が高まってマグマが地表に噴出するのが噴火なのである。つまり火山噴火は間接的な関係なのである。
 しかし、世界的に見ても火山噴火と大地震が相前後して起きた例は多い。たとえば、1707年に巨大地震である宝永地震が起きた49日後に、富士山の宝永噴火があった。他方、噴火が地震よりも先だった例もある。

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