【記事18198】原発「こんなに揺れるのか」 柏崎刈羽その時内部は 400人、汚染検査に殺到 「全機冷却」わいた拍手(朝日新聞2007年8月15日)
 

※以下は上記本文中から重要と思われるヶ所を抜粋し、テキスト化したものである

 震度6強の新潟県中越沖地震に見舞われた世界最大の原子力発電所で、緊急停止した原子炉が安全な状態になるまで20時間余。「きちんと緊急停止してほっとした」「原発でもこんなに揺れるのかと思った」。当時の施設内の状況を東京電力柏崎刈羽原発の職員たちが証言した。その時、原発内は極度の緊張状態にあった。
(白石陽一、長富由希子、曽田幹東)

 各原子炉に電話で状況確認後、1階の緊急時対策室に向かった。消防とのホットラインや緊急連絡用ファクスなどがある部屋だ。
 ノブに右手をかけたが、ドアは開かなかった。全体重をかけてもだめだった。仕方なく、建物裏手の駐車場を仮の災害対策本部にした。余震警戒からファクスのある本館になかなか入れず、国や県、市への報告送信は発生から約2時間後になった。
 6号機と7号機の中央制御室では、室内の蛍光灯がコードでつながったまま落ちた。「おおっ」とどよめきが上がった。
 放射性物質の汚染を防護する管理区域には817人がいた。うち1、2号機の400人は放射性物質のチェックを受けないまま避難。だが、モニター7台のうち6台が故障していた。「400人が押し寄せてきた。東電が緊急事態と判断して避難させた」(原子力安全・保安院)。更衣室で脱ぎ捨てられた作業服は洗濯され、汚染の有無は分からないままだ。
 「全号機、冷温停止に成りました」
 緊急時対策室で一睡もしなかった社員約30人から自然と拍手がわいた。ヤマ場を越えたと東電側が認識したのは、地震かち20時間41分後だった。
 ユニット所長は原子炉の冷却作業がまだ競いていた17日未明、1時間かけて1〜4号機の原子炉建屋の周囲を回った。1号機は変圧器の基礎ボルトがちぎれていた。
 「機械屋からすると、普通じゃない」
 地震のすさまじさを改めて感じていた。

KEY_WORD:新潟県中越沖地震:東京電力柏崎刈羽原発:高橋雅彦・第二保全部長:使用済み燃料プール:原子力安全・保安院:中央制御室:「スクラム(緊急停止)だ」:菅井研自・第一運転管理部長:「冷温停止」:川俣晋・ユニット所長:事務本館の緊急時対策室:CHUETSUOKI: