【記事88360】<それぞれの8年半>東電旧経営陣判決を前に[2]「命軽視」の責任を問う(河北新報2019年9月13日)
 
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<それぞれの8年半>東電旧経営陣判決を前に[2]「命軽視」の責任を問う

◎福島県飯舘村 大久保美江子さん(66)
 9度目の送り盆となった8月16日、大久保美江子さん(66)=福島県飯舘村=は故人が好きだった花と甘い菓子を墓前に供え、手を合わせた。
 「大往生させてあげたかった。それが、一番の心残り」
 2011年4月、義父文雄さん=当時(102)=が自宅で首をくくった。東京電力福島第1原発事故を受け、政府が村全体に避難指示を出すと発表した半日後のことだった。
 「どうして、こんなことしたの」。亡きがらを見つけ、問いをぶつけた後の記憶がない。

■無念を晴らす

 美江子さんは20歳で、隣町から嫁いできた。仕事で帰りが遅い夫より文雄さんと過ごした時間が長く、よく「じいちゃんと結婚したみたい」と冗談めかして語った。
 99歳の白寿祝いには親族ら80人が集まり、文雄さんは大好きな相撲甚句を歌って沸かせた。翌年、100歳になると各方面からの賞状や記念品贈呈にてんてこ舞い。やしゃごら4代に囲まれ、うれしそうに座る姿が写真に収められている。
 その2年後。眠るような死に顔だった。「ちいっと長生きし過ぎたな」。最後に聞いた言葉が頭から離れない。
 土地を愛し、農業で生計を立てた文雄さんにとって飯舘村は人生そのものだった。原発が憎い。後を追いたくなる衝動を抑え美江子さんは15年7月、東電の責任を問う民事訴訟を提起した。無念を晴らしたい一心だった。

■「誠意見えず」

 「深くおわびします」
 18年2月の福島地裁判決で東電の敗訴が確定し、社員が自宅へ謝罪に来た。「線香を上げてほしい」と美江子さんが願っていたためだ。
 一応はかなったが、後から「事後処理」の担当者と聞いた。「一人の人間が亡くなっている。本来は事故責任が問われた当時の経営者が来るべきで、誠意は見えなかった」と振り返る。
 美江子さんは東電に「あなたの大切な家族だと思って考えてください」と何度も訴えていた。東日本大震災後、県内では関連が認められただけでも100人以上が自殺。原発事故の影響は明らかなのに、淡々とした態度は人ごとのようだった。
 命を軽視する姿勢は事故前からずっと続いていると感じる。刑事裁判では、東電が津波の恐れを認識しながら対策を先送りした経緯が明らかにされた。
 当時の経営者は責任を否定したまま判決の日を迎える。「手抜きをせず、命を最優先にすれば防げた事故だった。事故の責任は誰にあったのか、心ある司法判断を示してほしい」。美江子さんは望む。
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