【記事30701】古地震の復元_笠浦幸治(応用地質_第53巻_第6号_313-319頁_20132013年2月1日)
 
参照元
古地震の復元_笠浦幸治

1.はじめに
 1983年5月26日正午頃,青森・秋田県境沖の日本海でマグニチュード7.7の地震が発生し,これによる津波が日本海沿岸の各地に襲来した.被害は甚大であったが,現代的な観測と多くの目撃による津波の水理学的な理解は,その後の津波に対する防災あるいは減災に貢献するものと思われた.10年後の1993年7月12日午後10時過ぎ,これを上回る規模の地震が日本海東縁奥尻海嶺直下で発生した.海底での断層変位により引き起こされた津波は,奥尻島に大災害をもたらした.10年前の震災の教訓は生かされなかったのである.2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震(3.11地震)は,日本の歴史上で最大級の津波を発生させ(3.11津波),東北日本太平洋沿岸の各地に壊滅的な災害をもたらした(3.11震災).
 遡ること約1,100年前,仙台湾沖で大地震とこれによる大津波が発生した.世に言われる869年貞観地震とこれによる津波である.この災害に関する史料(日本紀略類聚国史171貞観11年5月26日の記述)では,地盤沈下と海水氾濫により仙台平野が海に没したとされている.東日本大震災の際にも広域的に海岸平野が水没し,3.11地震は869年貞観地震の再来であると目された.防潮堤はこの津波の第1波のエネルギーをある程度減衰したが,強大な溯上流は,海岸の抗波構造体を破壊して平野の内陸部まで到達し,多くの被害をもたらした.仙台平野での津波堆積物の研究に基づき東北日本太平洋沿岸での地震津波災害の再発の可能性が20年以上前に指摘されていたが(後述),受け入れられることはなかった.1983年の教訓はまたしても生かされなかった.
 沈み込み帯での大地震は一般的に大津波を誘発する.仙台平野の中央部にまで溯上した869年貞観地震津波は,流れの浸食と運搬の作用による特有の砂の層を当時の地表面上に残した.津波堆積物である.1986年夏,貞観津波による堆積物の発見に際して,これより下位の2層準で津波堆積物が確認された1).いずれの津波堆積物も平野の内陸部にまで分布しており,貞観津波に匹敵する規模の津波が先史時代の仙台平野に繰り返し溯上したと推定された.1987年夏,炭素年代測定により巨大地震津波のミレニアム周期性が確認され,大規模な津波の再来が大いに懸念された2).この指摘から10年後,地震断層モデルによる数値実験により,869年貞観津波の溯上が復元された3).津波堆積物分布に基づく浸水規模と数値復元による推定溯上波高は常識を遥かに凌駕し,将来の津波による深刻な氾濫被害が予測された.この10年後の3.11震災は,懸念された破局的自然現象による災害であった.46億年の地球史を省みれば,科学観測にかからない地球現象が有り得るとするのは至極である.地質学の分野では,堆積輪廻(サイクロセム)の考えでさまざまな地球変動が説明されてきた.大規模長期的な地球現象,例えば海水準や気候の変動あるいは地殻隆起(沈降)は,周期性を有する事実が知られている.沈み込み帯でのプレートの収束率が地質学的規模で定常的であれば,収束場での物質や歪みの集積に伴う地殻変動は周期性を反映するに違いない.地層中に胚胎する堆積イベントの検証の可能性と周期性を予測し,1986年夏,仙台平野で掘削調査を行ったのである.この試みは地域的であったが,努力の積み重ねはやがて広域に及ぶであろうと期待した.地質が自然による実験の結果であるとすれば,時間と空間を反映した地球現象としての地質形成に,自然事変が記録されている可能性が秘められている.

2.地震津波の痕跡
 『地震第2輯』第40巻に,「湖沼底質堆積物中に記録された地震津波の痕跡青森県市浦村十三付近の湖沼系の例」と題する報告4)が公表された.以下は,その冒頭部の抜粋である.

 「1983年5月26日正午,津軽西方沖で発生した日本海中部地震に伴う津波は,10数分で十三湖水戸口に達し,最高3mを越える痕跡高を残した.この時,十三湖に激しく海水が流入し,大量のヤマトシジミ(Corbiculajaponica)が底質堆積物と共に移動している.一方,地震発生と同時に浜堤状砂丘に亀裂が入り,十三湖に繋がる前潟では,津波の到来により海面の上昇した海岸からこの亀裂を通って海水の急激な流入がみられた.当日我々の観察した前潟の水の白濁化は,亀裂を通過する海水に取り込まれた砂丘あるいは海浜砂の浮遊によるものと思われる.こうした観測事実から,地震とこれに起因する津波の襲来により,沿岸域の湖沼系に2つの異なる突発的堆積作用が及ぶことが考えられる.その1つは,直接津波が閉じた湖に流入し,溯上する過程で底質を掘削する作用である.他の1つは,地震により入った亀裂が水道となって海水が湖沼系に流入する現象で,亀裂通過時に取り込んだ砂を湖沼系の広範な水域に沈積させる作用である.この場合も,津波の襲来による海面の急激な上昇があり,破局的堆積作用が湖沼系に及ぶ.津波の規模が大きい場合,これらの作用に重複する形で,津波が砂丘を乗り越え大量の海水と砂丘砂を湖沼系に搬入する.堆積物中には,こうした現象が突然の堆積相の変化として記録されるであろう.大量の海水の流入は,湖沼の水系において,主に海水に多く含まれる種々の物質の濃度を増加させる.したがって,そのような物質が堆積物より大量に検出されれば,逆にその突然の流入の事実を知ることができる.我々は,津軽半島の沿岸域にあって自然の状態を良く留めた湖沼系の底質堆積物を,堆積学的・地球化学的に検討を進めてきた.その結果,青森県北津軽郡市浦村十三の2つの湖沼前潟と明神沼の底質堆積物中に,明瞭な過去の津波の痕跡を見出した......」

 著者らは,1983年日本海中部地震による地震動と津波の海岸への波及を地質学的に調査し,震動や海水氾濫が海跡湖沼に特別の痕跡を残す現象を見いだした.痕跡の地質学的な解析により,泥底の堆積層中に過去の地震や津波が堆積層あるいは化学痕跡として記録されている可能性を示したのである.約30年前に得られたこの結果は,その後の各地での著者らによる津波堆積物調査において適用され,未確認の古地震や古津波の記録あるいは伝承の検証と確証に利用されてきた.今日では,自然災害の痕跡を堆積層中に検出しようとする試みが,世界の各地で行われるようになっている.研究の成果が公開情報として集積されれば,地震や津波による災害を地球的規模で評価できるようになるであろう.

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