【記事45060】気象庁の震度階と震度7(地震・防災2016年7月15日)
 
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気象庁の震度階と震度7

震度7は気象庁の震度階級の最上位の階級であり、地震動の強さの程度が最大にランクされます。震度は震度計で計測された加速度振動を数値処理して算出された計測震度が用いられます。


 上の表に気象庁震度階の変遷を示します。
 藤井陽一郎著「日本の地震学」(1967)によると、気象庁の震度階の基礎になったのは、「微、弱、強、烈」の4段階の震度階で、明治十三年(1880年)には既に工夫されていたらしいと述べられています。石本巳四雄「地震とその研究」(1935)には関谷震度階として表の2列目に示す7階級の震度階が記載されています。
 1948(昭和23)年の福井地震はマグニチュード7.1でしたが、規模の割りに被害が大きく、福井平野では全壊率100%に達する集落が多数発生しました。この地震が契機となり、気象庁の震度階級に新しく震度Zが加わり、震度は0〜Zまでの8階級になりました。
 初めて震度Zとされたのは福井地震から46年6ヶ月後の1995(平成7)年の兵庫県南部地震(マグニチュード7.3 阪神・淡路大震災)でした。当時、震度Zは気象庁の職員が現地調査*1を実施してその結果から決定することになっていましたので、発震直後の速報値ではテレビの画面に震度Zが表示されることは本来ないことでした。最大震度が震度Yとして速報値が発表*2されたことは、救援活動の初動に遅れが生じた原因になったのではないかとの批判があり、翌年の1996(平成8)年からは震度計を用いた10階級の計測震度が用いられるようになりました。
 次に震度7が観測されたのは2004(平成16)年の新潟県中越地震(マグニチュード6.8)でしたが、発震後数日は震度7は発表されませんでした。電気系統の復旧によって川口町に設置されている震度計に保持されていた震度情報が気象庁に入電したため、震度が7であることが発震日から7日後に確認されました*3。その次に震度7が観測されたのは、2011(平成23)年の東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)であり、宮城県栗原市で観測された震度7が速報値として発表されました。
 平成24年5月現在、震度7が観測された地震は、福井地震以後、兵庫県南部地震、新潟県中越地震、東北地方太平洋沖地震の際の3回です。震度階級に震度7(Z)ができたのは福井地震以後であり、当然のことながら、福井地震以前は震度7(Z)相当の地震動があっても震度Yに含まれていました。また、兵庫県南部地震を契機として震度計の整備が進められたために、震度7の出現頻度が増加することになります。(注:震度7の震動があっても震度計の設置密度が疎であれば震度7が観測されないことが多くなるように震度7の観測頻度は震度計設置密度と関係する。)
 計測震度は全国の約600箇所に設置されている震度計によって計測・計算され、地震の波形記録とともに電話回線で気象庁に送られます。計測震度はリアルタイムの情報として重要であることから、電話回線の被害を想定して気象衛星を通じて送信が行われます*4。

*1 概ね200m四方において倒壊家屋が30%に及んでいれば震度Zと判定されることになっていたが、建物の耐震性は時代によって変化する。
*2 実は震度Yもすんなり報道されたのではありません。当時の震度は体感による観測と並行して計測震度による観測を開始されていました。神戸気象台の震度計が震度6を記録しましたが、通信専用回線にトラブルが発生したため、気象庁からの「神戸震度6」の正式の情報が報道されたのは地震発生から約30分後でした(中森弘道阪神・淡路大震災における初動情報 阪神・淡路大震災の社会学 第1巻 第1章)。
*3 報道発表資料 平成16年10月30日15時00分 「平成16年(2004年)新潟中越地震について(第18報)」
*4 気象庁Webページ 強震観測のページ

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