六ヶ所村の記録_詳細目次
 
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[古代〜江戸]1783(天明3)年:天明の大飢饉。皆無作、人肉を食った記録多数。[1989年]1989/07/23 参院選、反核燃の農民代表三上隆雄氏圧勝。
[明治〜昭和20年(1945)]1930(昭和5)年:東北地方、冷害による凶作(以降、33年を除いて4年間続く)。[1990年]1990/02/18 衆院選、反核燃2候補(関晴正氏、山内弘氏)当選。
[1946〜1968年]1968年9月:東北経済連「下北半島にウラン濃縮、核燃料加工・再処理施設、高速増殖炉などの建設構想」策定。[1991年]1991/09/27 天然六フッ化ウランが初搬入、反対派がウラン濃縮工場前での阻止行動を展開。六ヶ所村で道交法違反容疑で2人が検挙される。
[1969年]1969/06/21 原子力船「むつ」と命名され、進水。[1992年]1992/01/26 試験操業中のウラン濃縮工場で、午前中に「電源再起動試験」中に電流喪失事故発生。県・村への連絡遅れが発覚。
[1970年]1970/06/01 東北・東京電力、東通村に下北原発として20基の建設計画発表。[1993年]1993/11/18 ウラン濃縮工場から濃縮ウラン初輸送、反対派は抗議行動展開。
[1971年]1971/08/20 寺下六ヶ所村長、「大綱」を批判、開発反対表明。[1994年]1994/12/28 三陸はるか沖地震発生、マグニチュード7.5。日本原燃は22時50分までにウラン濃縮工場の遠心分離機が正常に動いていることを確認したと発表。
[1972年]1972/09/23 新全総、公害反対の全国集会、六ヶ所村で開催。[1995年]1995/04/25 木村知事が高レベル輸送船拒否声明、輸送船は沖合に停泊。むつ小川原港で抗議行動。木村知事が科学技術庁政務次官の来青を受け、30−50年後に県外に搬出される確約書を取り付け、一転接岸許可。
[1973年]1973/12/02 六ヶ所村長選挙、反対派の寺下村長79票差で落選、開発派の古川伊勢松村会議長が当選。[1996年]1996/12/19 自民党県議団が「東北新幹線八戸一青森間のフル規格整備が実現しなければ、核燃料事業にも協力しない」と党本部に迫る。
[1974年]1974/09/01 「むつ」出力上昇試験中、出力1.4%で放射線漏れ、試験中止、漂流。[1997年]1997/03/11 動燃東海事業所の再処理工場で爆発事故。
[1975年]1975/12/03 公社、用地買収90%を越える(2,958.5ヘクタール)。[1998年]1998/10/07 使用済燃料輸送容器の中性子遮蔽材データ改ざん問題が内部告発で発覚。
[1976年]小川原湖淡水化対策協議会設立。[1999年]1999/11/28 米紙ワシントン・タイムス:F16戦闘機エンジンに欠陥で2万時間に1回墜落と報道。
[1977年]1977/08/01 泊漁協、東通原子力発電所建設のための海象調査について了解。[2000年]2000/11/19 再処理:貯蔵プール、冷却システムの機能が一時全面停止に。
[1978年](108) 1978/10/23 資源エネルギー庁、むつ小川原地区を石油国家備蓄の企業化調査の対象地として選定。[2001年]2001/04/03 三沢米軍:F16戦闘機墜落、墜落地点は核燃施設とわずか10キロの距離。
[1979年]1979/11/21 石油国家備蓄基地建設起工式。[2002年]2002/06/27 経済産業省原子力安全・保安院:原告団のウラン濃縮事業許可異議申し立てに対し14年経って棄却、放置していたわけでないと説明。
[1980年]1980/03/31 県と泊漁協および白糠漁協との間で「漁業補償に関する協定書」調印。[2003年]2003/01/26 青森県知事選挙投票:平野良一さん、反核燃の受け皿となり健闘。
[1981年]1981/12/04 東北・東京両電力、下北原発の第一次計画を発表、4基で440万キロワット。[2004年]2004/05/08 河野太郎代議士:六ヶ所再処理工場稼働に反対する市民団体主催の講演で「ウラン試験の延期を」と話す。
[1982年]1982/09/01 電源開発(株)が新型転換炉(ATR)を大間町に立地内定と新聞報道。[2005年]2005/10/07 三村県知事:中間貯蔵施設の立地問題で50年後搬出を確認。経産相は「最終的にすべて再処理されるので、永久貯蔵されることはない。法律でも搬出は担保されている」と答える。
[1983年]1983/12/24 備蓄基地で原油漏出事故発生、49.5キロリットルの原油流出。[2006年]2006/07/04 石川迪夫・日本原子力技術協会理事長:「再処理をする限り、内部(体内)被ばくは起こる。お百姓さんをやっていて泥が付かないわけがないのと同じ」と発言。
[1984年]1984/04/02 電事連、北村知事に核燃料サイクル基地の建設受け入れを正式要請。[2007年]2007/11/26 日本原燃:再処理工場の高レベル廃液ガラス固化建屋で、ガラス固化体容器のふたを溶接する機器が故障したと発表。もう1台の溶接機も同様の故障で固化体の製造はすべて停止。
[1985年]1985/04/08 核燃署名一斉提出(目標10万人にたいし、9万3,643名)。[2008年]2008/12/01 日本原燃:再処理工場のガラス固化体製造試験で、ガラス溶融炉に差し込んだ撹拝(かくはん)用の棒が動きにくくなった原因が不明で約1カ月はストップする見通し。
[1986年]1986/07/29 原燃2社の作業船、泊沖に調査ブイ設置のため侵入。30隻で海上阻止行動、漁場を守る会副会長逮捕。[2009年]2009/04/02 日本原燃:再処理工場のガラス溶融炉の授枠用の金属棒が曲がった問題で、炉の上に見える棒が斜めに傾いたのを確認後も、さらに棒を押し込んで作業を続行と報告。
[1987年]1987/03/01 F16八戸沖に墜落。[2010年]2010/04/05 日本原燃:再処理工場のガラス溶融炉での耐火れんがの欠落で、耐火れんがの回収作業に着手。
[1988年]1988/10/07 核燃サイクル阻止1万人訴訟原告団、科技庁に異議申し立て。「核燃いらね!六ヶ所村10月大行動」3日間。[2011年]2011/03/12 日本原燃:再処理工場で、使用済み核燃料を貯蔵するプ−ルから約600リットルの水があふれ出たと発表。

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