[2022_01_20_10]福島第一原子力発電所事故により発生した汚染水等の処理について海洋への放出に反対する意見書(日弁連2022年1月20日)
 
参照元
福島第一原子力発電所事故により発生した汚染水等の処理について海洋への放出に反対する意見書

 福島第一原子力発電所事故により発生した汚染水等の処理について海洋への放出に反対する意見書

2022年(令和4年)1月20日

日本弁護士連合会

第1 意見の趣旨

 国及び東京電力ホールディングス株式会社は,東京電力福島第一原子力発電所において発生した汚染水等の処理について,海洋への放出ではなく他の方法を検討すべきであり,当連合会は,海洋放出することについて反対する。

第2 意見の理由

 1 当連合会のこれまでの取組

 東京電力福島第一原子力発電所(以下「福島第一原発」という。)からの放射性物質の放出や汚染水の漏洩,海洋への流出は,環境汚染や消費者の忌避行動による農林水産業への損失といった重大な被害をもたらしてきた。
 当連合会は,福島第一原発の事故発生以来,数々の支援や立法提言活動,事故の再発防止や環境被害防止のための意見表明等を行ってきた。
 人権擁護大会においては,2013年第56回広島大会で「福島第一原子力発電所事故被害の完全救済及び脱原発を求める決議」,2014年第57回函館大会で「原発訴訟における司法判断の在り方,使用済燃料の処理原則及び原子力施設立地自治体の経済再建策に関する宣言」,2015年第58回千葉大会で「福島第一原子力発電所事故の被災者を救済し,被害回復を進めるための決議」を,それぞれ採択した。
 とりわけ千葉大会の決議においては,「本件事故に由来する汚染水対策について」の項目で,「国は,汚染水対策として実施している凍土壁建設を直ちに中止し,原子炉建屋への地下水の流入を抑止し,高濃度汚染水の原子炉敷地から外部への漏出を防止することができる恒久的遮水壁を速やかに構築すべきである。」として,汚染水対策として凍土壁でなく,恒久的遮水壁を構築することを提言した。
 この遮水壁については,当連合会は,2011年6月23日に「さらなる海洋汚染を未然に防止するため,福島第一原子力発電所に地下遮蔽壁の速やかな設置等を求める会長声明」を,2013年9月5日にも「福島第一原子力発電所の速やかな汚染水対策を求める会長声明」を公表していた。
 仮にこれらの提言が実行に移されていれば,より安全かつ低コストで,放射性物質による汚染水等の問題を処理できていたことであろう。
 なお,国は,2021年4月13日に汚染水に関する呼称を見直し,それまではALPS(多核種除去装置)等の浄化装置によってトリチウム 1以外の放射性物質を取り除く処理を行った汚染水を「ALPS処理水」と呼んでいたが,そのうち,トリチウム以外の核種について,環境放出の際の規制基準を満たす水のみを「ALPS処理水」と呼称することとした。ALPSで処理したものの規制基準を満たしていない水については,国は呼称を定めていないが,東京電力ホールディングス株式会社(以下「東京電力」という。)は「処理途上水」と表記している(2021年4月27日見直し)。本意見書では,国及び東京電力の呼称を前提とすることとし,また,「ALPS処理水」と「処理途上水」を合わせて「処理水」,ALPS処理以前の汚染水と「処理水」を合わせて「汚染水等」と呼ぶこととする。

 2 汚染水問題の経過

 (1) 福島第一原発1〜3号機では,メルトダウンにより溶け落ちた核燃料デブリを原子炉建屋内で冷却水により冷却し続けているが,同時に福島第一原発の山側から原子炉建屋内に流入した地下水や雨水が,冷却水に混入することで日々大量の汚染水が発生している。この汚染水は,セシウム吸着装置でセシウムを取り除くなどした後(一部は原子炉建屋内に戻され循環注水冷却をしている。),ALPSでトリチウム以外の放射性物質を取り除く処理を行って敷地内のタンクに貯蔵されてきた。
 そうすると,処理水の中に含まれる放射性物質は主にトリチウムということになるが,実際はトリチウム以外の放射性物質を完全に取り除くことはできておらず,タンク内の処理水の約7割で,トリチウム以外の放射性物質の濃度が環境放出の際の規制基準を超えていること(すなわち処理途上水であること)が明らかになっている 2。

 (2) 事故発生後の2011年12月に原子力災害対策本部 政府・東京電力中長期対策会議は「中長期ロードマップ」を決定した 3。ここでは汚染水対策に

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1 トリチウムは,水素の放射性同位体(通常の水素より中性子が2つ多く三重水素とも呼ばれる。)であり,弱い放射線を出す放射性物質。ALPSではトリチウムを除去することは困難である。

2 国の有識者会議「多核種除去設備等処理水の取扱いに関する小委員会」による報告書(2020年2月10日)では,タンク内の処理水の約7割が規制基準を超えている理由について,処理を開始した当初は敷地境界における追加被ばく線量を下げることを重視したことなどにより,ALPSの吸着剤の交換頻度を下げ処理量を増やしたためであると説明されている。

3 原子力災害対策本部 政府・東京電力中長期対策会議 東京電力(株)福島第一原子力発電所1〜4号機の廃止措置等に向けた中長期ロードマップ」(2011年12月21日)
https://www.tepco.co.jp/cc/press/betu11_j/images/111221d.pdf
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ついて,ALPSの導入の予定が示されたが,2012年7月の第1回改訂版ロードマップにおいて,「汚染水の海への安易な放出は行わないものとする」「海洋への放出は,関係者の了解なくしては行わないものとする」として,海洋放出は抑制されていた 4。
 ところが,2013年8月に汚染水貯水タンクから汚染水約300m3が漏えいするトラブルが発覚したことから,同年9月には原子力災害対策本部において「汚染水問題に対する基本方針」5が決定され,廃炉・汚染水問題の根本的な解決に向け,事業者任せにするのではなく国が総力を挙げて取り組むために,関係閣僚等会議が設置された。そして,同年12月には,「東京電力(株)福島第一原子力発電所における予防的・重層的な汚染水処理対策」6が取りまとめられ,@汚染水を「取り除く」,A汚染源に水を「近づけない」,B汚染水を「漏らさない」,という3つの基本方針の下で対策を講じていくとされ,「近づけない」対策としては,地下水流入量抑制のため凍土方式の陸側遮水壁(凍土壁)の建造が大きな施策とされていた。
 その後ロードマップは,2019年12月に第5回目の改訂が行われ,2025年に汚染水発生量を一日当たり100m3以下に抑制すると計画されている 7。

 (3) 2020年2月10日,国の有識者会議「多核種除去設備等処理水の取扱いに関する小委員会」(以下「小委員会」という。)は,処理水を薄めて海洋へ放出するのが最も現実的であるという報告書を公表した(以下「小委員会報告書」という。) 8。

 (4) 国は,2022年には汚染水等のタンク保管容量が限界に達するとして,2021年4月13日に海洋放出処分の方針を決定し,2023年頃を目途

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 4 原子力災害対策本部 政府・東京電力中長期対策会議「東京電力(株)福島第一原子力発電所1〜4号機の廃止措置等に向けた中長期ロードマップ」(2012年7月30日)
https://www.meti.go.jp/earthquake/nuclear/pdf/120730/120730_02g.pdf

 5 原子力災害対策本部「東京電力(株)福島第一原子力発電所における汚染水問題に関する基本方針」(2013年9月3日)
https://www.meti.go.jp/earthquake/nuclear/pdf/osensuitaisaku_houshin_01.pdf

 6 汚染水処理対策委員会「東京電力(株)福島第一原子力発電所における予防的・重層的な汚染水処理対策〜総合的リスクマネジメントの徹底を通じて」(2013年12月10日)
https://www.meti.go.jp/earthquake/nuclear/pdf/131210/131210_01d.pdf

 7 廃炉・汚染水対策関係閣僚等会議「東京電力ホールディングス(株)福島第一原子力発電所の廃止措置等に向けた中長期ロードマップ」(2019年12月27日)
https://www.meti.go.jp/earthquake/nuclear/pdf/20191227.pdf

 8 前掲注2・報告書
https://www.meti.go.jp/press/2019/02/20200210002/20200210002-2.pdf
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 に放出を開始し,30〜40年かけて海洋に放出していくとした 9。

 3 汚染水等の問題点

 (1) 汚染水等の量と今後の増加量タンクに貯蔵されている汚染水等の量は,東京電力によれば 10,約129万m3 11である。なお,敷地内に設置されたタンクは1061基で,容量は約137万m3とされている(2021年11月18日時点)。現在タンクに貯蔵されている処理水のうち,ALPS処理水は33%(約41万100m3),処理途上水は67%(約83万2900m3)とされている(2021年12月16日現在)。
 他方,汚染水は,日々発生しており,一日当たり130〜170m3程度もの量が増加していると推計されている 12。

 (2) 処理水中に含まれる放射性物質既述のように,処理水に主に含まれる放射性物質はトリチウムであるところ,国の方針では,トリチウム以外の放射性物質については,安全に関する国の規制基準を満たすまで,ALPS等で浄化処理し,取水した海水と混合し,十分希釈した上で海洋放出するとされている。放出するトリチウムの総量については,当面は,事故前の福島第一原発の放出管理目標値である年間22兆ベクレルの範囲内で行い,廃炉の進捗等に応じて適宜見直すとされている。
 しかし,トリチウム以外の放射性物質については,ALPSで除去できるのは62核種のみであり,汚染水に含まれるすべての放射性物質を取り除けるわけではなく,除去可能な62核種についても完全に除去できるものでもない。そのため希釈したとしても,環境中で生体濃縮等による悪影響がないとは言い切れない。

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9 廃炉・汚染水・処理水対策関係閣僚等会議「東京電力ホールディングス株式会社福島第一原子力発電所における多核種除去設備等処理水の処分に関する基本方針」(2021年4月13日)
https://www.meti.go.jp/earthquake/nuclear/osensuitaisaku/committtee/osensuisyori/2021/pdf/23_22.pdf

10 東京電力「処理水ポータルサイト」参照。

11 2021年12月16日現在,処理水(約127万2900m3)及びストロンチウム処理水(ALPS処理前水)(約1万3600m3)を合計したもの。

12 小委員会(第14回)資料3によると,タンク建設計画における汚染水発生量の推定値について,「2020年内に汚染水発生量150m3/日程度を達成した場合の想定。汚染水の発生量が各建屋に流入する地下水の量や降雨の影響を受けて変動するため,130〜170m3/日の幅をもって試算している」と記載されている。
 https://www.meti.go.jp/earthquake/nuclear/osensuitaisaku/committtee/takakusyu/pdf/014_03_01.pdf5
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 この点,通常の原子力発電所から海洋放出されているトリチウムを含む水は,福島第一原発とは異なり,炉心に触れた水ではなく,トリチウム以外の放射性物質は含まれていないのであり,規制基準以下とはいえ,トリチウム以外の放射性物質が完全には除去されていない福島第一原発における処理水は,通常の原子力発電所の場合とは根本的に異なるものである。
 今回,海洋放出されようとしている処理水に含まれるトリチウム以外の放射性物質の総量は,公表すらされておらず,その安全性には大きな疑問がある。したがって,環境,健康や生物に影響を及ぼす可能性を否定できないことからすれば,予防原則 13に従い,海洋放出はすべきではない。
 また,トリチウムについても,国は,自然界や人の体内に存在している放射性物質と比較しても健康への影響は低いとしているが,健康に影響がないと証明されているわけではない。生体内に水(トリチウム水)の形で取り込まれたトリチウムは,その一部が同位体である生体内有機成分中の水素と交換し同化・固定され,有機物として存在することが知られており 14,水素とトリチウムが置き換わったものが細胞に取り込まれた場合,食物連鎖の中で濃縮が生じ得ること 15,また,DNAを構成する水素とトリチウムが置き換わった場合には,トリチウムが崩壊するときに放つ放射線によりDNA等が破損する可能性があること 16が指摘されている。
 ALPS処理水にはこのような問題点があることから,安全性を評価するためにどの程度の放射性物質が放出されようとしているのかを正しく把握する必要がある。そして,トリチウム及びそれ以外の放射性物質の濃度又は総量については,速やかに公表されるべきであり,その調査や検証については当事者である東京電力ではなく,独立した第三者が行う仕組みを早急に設けるべきである。

 4 海洋放出の必要性・妥当性

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13 環境に脅威を与える物質又は活動を,その物質や活動と環境への損害とを結び付ける科学的証明が不確実であっても,環境に悪影響を及ぼさないようにすべきであるとする原則(大塚直『環境法(第4版)』有斐閣,2020年7月)。

14 武田洋「生体内におけるトリチウムの動態」(放射線医学総合研究所「特別研究『核融合炉開発に伴うトリチウムの生物学的影響に関する調査研究』報告書」,1987年12月),田内広ほか「講座トリチウム生物影響研究の動向 1.低線量放射線の生物影響とトリチウム研究」(プラズマ・核融合学会雑誌 Vol.88,No.2,2012年2月)15 Andrew Turner, Geoffrey E. Millward, Martin Stemp “Distribution of tritium in estuarinewaters: the role of organic matter” (Journal of Environmental Radioactivity,2009),“Radioactivity in Food and the Environment, 2002”(the Centre for Environment, Fisheriesand Aquaculture Science,Scotland
https://www.cefas.co.uk/publications/rife/rife8.pdf)

 16 Hiroaki Nakamura, et al, “Molecular dynamics study on DNA damage by tritiumdisintegration” (Japanese Journal of Applied Physics,2020)
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 (1) 国が述べる海洋放出の理由既述のように,国及び東京電力による汚染水の減少対策は,@汚染水を「取り除く」,A汚染源に水を「近づけない」,B汚染水を「漏らさない」というものであり,汚染水等の海洋放出は,@の方法により生じた処理水の地上での保管容量が限界にあること等を理由としたものである 17。
 そして,国及び東京電力は,汚染水等を処理する方法として5つの処分方法(地層注入,海洋放出,水蒸気放出,水素放出,地下埋設)について検討・比較し,うち国内外で実績があるという理由で海洋放出と水蒸気放出の2つの方法に絞り,さらに,放出設備の取扱いやモニタリングが比較的容易であること(水蒸気放出の場合はモニタリングが困難であること)を理由に海洋放出を選んでいる 18。

 (2) 代替案の検討不足@ 汚染水減少対策の再検討そもそも,海洋放出の方法を議論する前に,まず必要なのは,汚染水を減少させることである。
 これに関し,汚染源に水を「近づけない」ため,東京電力は凍土壁を設置しているが,その計画は,原子炉建屋内の高濃度汚染水を汲み上げ,建屋内の滞留水を完全に除去(ドライアップ)し,7年以内に建屋内部を止水処理し,凍土壁を解凍するというものであった。そして,当初,一日当たり490m3であった汚染水発生量を凍土壁により大部分を止め,その他の方策(地下水バイパスやサブドレン 19)を加えてゼロにする(つまり止水を達成する)計画であったが,実態としては,凍土壁の効果は限定的であり,サブドレンやフェーシング(地面からの浸透防止対策)等の追加的な対策によって,一日当たり130〜170m3に減らせているにすぎない。
 また,凍土壁は,もともと長期運用は予定しておらず,いずれ他の方式に置き換えるべきとされていたことから,当初想定されていた運用期限が迫ろうとしている。
 そうすると,凍土壁による「近づけない」方策がいつまでも維持できるかは疑問であり,当初想定されていたように,より恒久的な遮水壁の構築

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17 前掲注2・報告書
https://www.meti.go.jp/press/2019/02/20200210002/20200210002-2.pdf

18 前掲注9・基本方針
https://www.meti.go.jp/earthquake/nuclear/osensuitaisaku/committtee/osensuisyori/2021/pdf/23_22.p df

19 福島第一原発の建屋周辺から地下水を汲み上げる井戸。汲み上げた地下水は浄化して海洋に放出している。
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が必要である。しかし,現時点で,国及び東京電力からは,凍土壁の運用延長以上の計画は公表されていない。

 A 代替案の検討が尽くされていないこと汚染水等の処理方法については,技術者や研究者も参加する原子力市民委員会が,「大型タンクによる陸上での保管」及び「モルタル固化処分案」を提案し,経済産業省に提出していた。しかし,これらの案は,現実的な提案でありかつ実績もあるにもかかわらず,十分な検討がされたとは言えない。
 「大型タンクによる陸上での保管」は,ドーム型屋根,水封ベント付きの大型タンクを建設する案で,建設場所としては,福島第一原発の敷地内の7・8号機建設予定地,土捨て場等を提案している。大型タンクは,石油備蓄等に使われており,多くの実績があり,ドーム型屋根を採用すれば,雨水混入の心配はなく,防液堤も設置されることから万一の漏水対策も含まれている。最終処分案の検討及び実施に時間を要する場合に,それまでの処理方法として現実的な提案である。
 また,「モルタル固化処分案」は,汚染水をセメントと砂でモルタル化し,半地下の状態で保管するというものであり,セメントを用いて固化する点においては前記4(1)の地下埋設案に類似するが,既に米国のサバンナリバー核施設の汚染水処分でも用いられた実績がある。
 このような現実的な提案がされていたにもかかわらず,先に述べた小委員会報告書には,東京電力が大型タンク保管案を否定する見解のみが記され,その過程では提案を行った原子力市民委員会に対するヒアリングや議論等は一度も実施されなかった。
 また,保管の限界が来ているという国及び東京電力の判断も,汚染水等を保管する敷地の確保に向けた努力を尽くしているかという点においても疑問がある。

 (3) 海洋放出の時期についての問題点国及び東京電力による処理水の海洋放出の時期の決定については,その背景に,国及び東京電力の廃炉方針がある。この廃炉方針は,事故を起こした福島第一原発1〜3号機の燃料デブリの取り出しを行った上で,2011年から30〜40年後には廃止措置を終了するというものである 20。そして,国が処理水の海洋放出を急ぐのは,燃料デブリの取り出しを含む工程を進め

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20 前掲注7・ロードマップ
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るためであると言われている。また,廃炉の時期が決まっている以上は,早めに処理水を海洋放出すれば,それによって生じる風評被害も早期に収束するという目論見があるようである。
 しかしながら,現状において,燃料デブリの取り出しについては,極めて高線量の環境での作業が必要になり,人による作業はおよそ困難であり,それに代わるロボット等の遠隔操作の技術についてもいまだ開発途上である。
 そのため,当初のスケジュール通りに実行できる見込みは極めて低い。また,燃料デブリを取り出した後の保管方法についても,技術が確立しているとは言い難い。このような問題のある「中長期ロードマップ2019」のスケジュールありきで処理水の海洋放出を実施するとすれば,それはまさに本末転倒であり,そもそも海洋放出を検討する前に,廃炉方針そのものを再検討する必要がある。
 廃炉(燃料デブリの取り出し)の見通しが立っているとは言えない現状においては,汚染水がいつまで発生し続けるのかについても見通しが立っていないと言わざるを得ない。そのため,処理水の放出を開始しても,その終了時期は不明であるということになり,早く処分をすれば風評被害が少なく済むという前提は成り立たない。そうすると,汚染水等の処理について,海洋放出か水蒸気放出かという選択肢に絞り,さらに海洋放出しかないと判断したことは不適切であり,長期にわたり汚染水等が発生し続けることが考えられる状況下においては,前記の他の現実的な選択肢を真剣に検討すべきである。
 なお,現在の保管状況にも地上タンクの保管容量や耐震性能等の問題があることから,当面の問題への対策は早急に講じるべきである。

 5 手続上の問題点

 (1) 社会的合意形成手続の重要性

 処理水の海洋放出については,地元の漁業者は,福島第一原発事故の直後から,東京電力の意図的,非意図的を問わない海洋放出により,大きな悪影響を受け,その都度強く抗議してきた。このような中で,東京電力は2015年8月,福島県漁業協同組合連合会(以下「県漁連」という。)の「建屋内の水は多核種除去設備で処理した後も,発電所内のタンクにて責任をもって厳重に保管管理を行い,漁業者,国民の理解を得られない海洋放出は絶対に行わない事」との要望に対して,「検証等の結果については,漁業者をはじめ,関係者への丁寧な説明等必要な取組を行うこととしており,こうしたプロセスや関係者の理解なしには,いかなる処分も行わず,多核種除去設備で処理した水は発電所敷地内のタンクに貯留いたします。」と回答した 21。
 また,国(経済産業省)も同年に県漁連に「関係者の理解なしにはいかなる処分も行わない」と約束し,全国漁業協同組合連合会(以下「全漁連」という。)にも同様の約束をしていた 22。
 それにもかかわらず,国が,2021年4月13日に放出決定を行ったことから,約束違反であるとして漁業関係者からの反発は大きかった。それも,同月7日,全漁連会長が菅内閣総理大臣(当時)と面会し,改めて海洋放出反対を表明した直後のことであったので,なおさらのことであった。このような反対や不安が示されていることを踏まえれば,処理水放出の可否を決めるに当たっては,@十分に必要な情報を開示すること,A多くの市民や関係者の声を聴くこと,Bその声を十分に反映してその可否を決めること,を要素とする社会的合意形成手続が不可欠である。福島第一原発事故により,多くの事業者が福島県産品に対する社会の漠然とした不安などに多大な被害を受けてきたことを,今一度,国及び東京電力は真摯に受け止め,漁業関係者のみならず,広く社会全体の反対や不安にも向き合い,問題解決に尽力することが求められる。
 しかし,現実に行われていることは,以下に述べるように全く逆である。

 (2) 情報開示が不十分であること

 既述のように,海洋放出されようとしているALPS処理水に含まれるトリチウム以外の放射性物質の総量は,公表すらされておらず,その安全性についての問題点は払拭されていない。
 しかし,国及び東京電力は,トリチウムの安全性を強調し,トリチウムに対する誤解のみが問題であるかのように「風評被害」対策を示すなどしているが,問題の全体像を正しく伝えているとは言い難いものである 23。
 このような国及び東京電力の情報開示に対する姿勢は,著しく不誠実であ

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21 2015年8月25日付け東京電力株式会社から県漁連への「東京電力(株)福島第一原子力発電所のサブドレン水等の排水に対する要望書に対する回答について」第4項
https://www.tepco.co.jp/news/2015/images/150825a.pdf

22 毎日新聞「水説」(2021年6月9日),朝日新聞「耕論 合意なき海洋放出」(2021年5月11日)23 前掲注2・小委員会報告書では「福島第一原発の影響としては,農林水産品や観光の忌避,放射性物質に起因した誹謗中傷が行われる被害が生じたと考えられる。」(30頁)「ALPS処理水を処分した場合,全ての人々の不安が払しょくされていない状況下では,程度や発生時期の差はあるものの,その情報がマスメディアやSNS等により情報伝播され,その結果,懸念を持つ消費者もいることから負の社会的影響が生じうる。」(31頁)また,その概要では端的に「C風評被害対策の方向性」として,「水蒸気放出及び海洋放出のいずれも基準を満たした形で安全に実施可能であるが,ALPS処理水を処分した場合に全ての人々の不安が払しょくされていない状況下では,ALPS処理水の処分により,現在も続いている既存の風評への影響が上乗されると考えられる」(概要2頁)というように,客観的には実害はないが主観的不安があることへの対策が必要としている。
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 る。トリチウム以外の放射性物質の有無や総量の問題は,漁業関係者だけの問題ではなく,消費者等広く国民に関係することであり,更に言えば日本だけの問題ではない。
 国及び東京電力は,真に安全性の問題に向き合い,そのデータを開示して,国民や国際社会に対して判断材料を供するべきである。

 (3) 国民の声を十分に聴き,対策に反映させることをしていないこと小委員会報告書が公表される1年半ほど前の2018年8月30日及び31日に,経済産業省は,福島県の富岡町及び郡山市並びに東京都で「説明会・公聴会」を開催し,公聴会では,公募で選ばれた意見陳述人が意見を述べたが,44人中42人が明確に海洋放出に反対し,漁業関係者も反対を訴えた。
 これらの意見にもかかわらず,2020年2月に海洋放出が現実的であるとする小委員会報告書が公表され,それ以後,経済産業省は,公聴会を開催する代わりに自ら選んだ産業団体や自治体の代表からの「御意見を伺う場」を福島や東京で計7回開催した。しかし,新型コロナウイルス感染症の感染拡大を理由として傍聴者は入れられず,テレビ会議が駆使され,関係各省の副大臣が出席する中,事前に説明を受けている自治体の首長や各団体の代表が一人ずつ意見を言い,質疑もほとんど行われないという,儀式的な会合となっていた。こうした形式的な意見聴取の場でも,福島県漁連,福島県農業協同組合中央会等の地元の一次産業の団体はいずれも反対したが,それらは取り入れられなかった 24。
 結局,国及び東京電力は,海洋放出という結論ありきでしか説明会を開いていないと言え,多くの市民の声を聴き,対策に反映させるという姿勢を示しているとは到底言えない状態である。

 6 結語

 以上のとおり,ALPS処理水の海洋放出は,その安全性に疑問があり,また,非現実的な廃炉方針を前提にしていることや代替案の検討が十分でないことに鑑みると,その必要性についても大きな疑問があると言わざるを得ない。
 かかる状況からすれば,漁業者等影響を受ける市民や関係者の多くが海洋放出に慎重な意見を述べているのは当然である。これまで多大な被害を受けてきた原発事故被害者に対し,今回の海洋放出により更に被害を深刻化させることがあってはならない。そして,安全性に対する疑問もさることながら,社会的経済的問題の側面も踏まえて,原発事故被害者には常に配慮した方策がとられ

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24 満田夏花「ALPS処理汚染水問題が問いかけるもの―意思決定前に政府がなすべき4つのこと―」「環境と公害」55頁(岩波書店,2021年1月25日)

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なければならないことを忘れてはならない。
国及び東京電力は,福島第一原発によって発生した汚染水等の処理について,海洋への放出ではなく他の方法を検討すべきであり,当連合会は,海洋放出することについて反対する。

以上
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