【記事10292】新潟へ”地震調査団” 専門学者ら300人派遣 海藻枯れた”新陸地” 粟島 港を使えぬ漁民たち(毎日新聞1964年6月21日)
 
 

※以下は上記本文中から重要と思われるヶ所を抜粋し、テキスト化したものである

【新潟で今吉記者】新潟地震の被害は通信機関の復旧につれて、県下各地に大きな被害があったことがわかり、ことに岩船郡下や村上市で被害が大きいことがわかった。記者は20日午後、岩船郡神林村にヘリコプターで着陸、さらにこんどの地震の震源地に近く、1メートル半も隆起した粟島に強行着陸した。
 粟島の海岸線は赤っぽい岩と白っぽい岩の二ヵ所にくっきりと分けられていた。波打ちぎわは赤く、その奥が白い。近づいてみると、赤い色は岩に密生した海草が枯れたものだった。海の中にあったものが隆起して枯れたところだ。島の周囲をこの赤い岩の帯が囲み、隆起のあとを歴然とさせている。
 ”旗岬”と島との間は約30メートル離れ、以前は漁船の航路だったというが、隆起して陸続きになってしまった。
 内浦港の近くに降りると、船つき場だったあたりが盛り上がり、砂の上に数隻の漁船が乗せられたまま。港の海岸線は40メートルもずり出し、港は全く使用できない。漁業で生活してきた島の人たちの不安は大きい。
KEY_WORD:NIIGATA1964_:文部省:河角廣東大地震研究所所長:「新潟地震総合調査団」:梅村魁東大工学部教授: