【記事47372】論点 もんじゅ「廃炉」どう考える(毎日新聞2016年9月23日)
 
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論点 もんじゅ「廃炉」どう考える

 高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)の廃炉が年内に決まる見通しとなった。ウランとプルトニウムを再利用する核燃料サイクル政策の要として1兆円が投じられながらも、ほとんど成果は上げられなかった。一方で政府は核燃料サイクル政策を堅持する方針を示す。もんじゅ「廃炉」という大きな転換期を迎えるなか、国の原子力政策をどう考えるべきなのか。

決断、欧米より20年遅れ 吉岡斉・九州大教授

 1995年のナトリウム漏れ事故を受け、原子力委員会に97年に設置された高速増殖炉懇談会の委員を務めた。当時、米国は核不拡散や経済性の観点から研究開発を中止していた。ドイツも冷戦終了後の東西統一による財政難と、プルトニウムを保有するという「潜在的核兵器」の必要性がなくなったことなどから原型炉の建設を中止し、高速増殖炉開発は世界的に行き詰まっていた。日本でもこれまで何度も見直す機会があったはずだが、振り返るとこの懇談会が最後の機会だった。それを生かせず、今まで延びてしまったことが残念だ。
 懇談会で私は「もんじゅを博物館にして技術保存し、技術者は学芸員として再雇用してはどうか」と提案した。これが現実的な策ではないかと考えた。しかし、こうした意見は取り入れられることはなかった。もんじゅの次の段階となる実証炉以降の開発は白紙に戻るという成果こそあったが、もんじゅは廃炉にはならなかった。その後、廃炉を含めた在り方が検討されることはなく、巨額の費用が投入されてきた。日本で他国のように研究開発が見直されなかったのは、もんじゅを管理・運営する動力炉・核燃料開発事業団(動燃、現日本原子力研究開発機構)を所管する文部科学省が、最大の抵抗勢力になったためだ。
 使った以上の燃料を生み出すという高速増殖炉は取り扱いが難しく、もんじゅは運転実績がほとんどないまま当初言われた「夢」や「未来」とは無縁だということは多くの人が分かっていたはずだ。これまで数回もんじゅを訪れたが、現場の責任者から「士気を維持するのに苦労している」という話を聞いたことがある。2012年に明らかになった1万件もの機器点検漏れなどは、やる気のなさの表れだろう。現場は延々と敗戦処理を続けていたといえるかもしれない。昨年11月に原子力規制委員会が運営主体変更を文科省に勧告した後、電力会社やメーカーが新組織への協力に難色を示したのは、将来性に疑問を持っていたからだ。
 60年代半ば、プルトニウムを米国から入手できるという話があって、それまで無理だと思われていた高速増殖炉への道が開け、国策として研究開発が始まった。しかし、ナトリウム漏れ事故以降、もんじゅは国の原子力政策全体の足を引っ張ってきた。政府は、このままでは身動きが取れないと考えたのだろう。
 廃炉にするということは、もんじゅをもはや守っているような状況ではなく、切り離さないと原子力政策が前に進めないという判断が働いたと考えられる。
 高速増殖炉の推進派にとっては、もんじゅを維持することが、ほとんど唯一といえる希望だった。「形さえ残っていれば、いずれ復活する可能性はある」という心のよりどころだった。廃炉は事実上、その道を断ち、政策の大きな節目となる。
 欧米より20〜30年遅れだ。地元の理解を得るのは難しいだろうが、国民の利益を考え、正式廃炉を決断してほしい。【聞き手・飯田和樹】

核燃サイクルこそ見直しを 鈴木達治郎・長崎大核兵器廃絶研究センター長

 政府はもんじゅの廃炉を今後検討する一方、原発から出る高レベル放射性廃棄物(核のごみ)を減らす「高速炉」の研究を進める方針を打ち出した。しかし現時点では、高速炉は「絵に描いた餅」に過ぎない。基礎研究を進めることを否定はしないが、遠い夢に人や金を投入するのではなく、今そこにある課題に向き合うべきだ。
 政府は、核のごみの放射線量が天然ウランのレベルに下がるまで、今の再処理技術なら8000年かかるのに対し、高速炉で処理すれば理論上「300年」に短くなるとの試算を発表し、官民による高速炉開発会議の設置を決めた。政府としては、高速炉を「核のごみの焼却炉」とうたえば国民が受け入れやすいとの思惑があるのだろうが、今の科学技術で実証されておらず「誇大広告」でしかない。
 政府の増殖炉政策を検証する必要もある。政府はこれまで「もんじゅがなければ高速炉開発は進まない」と断言してきたが、今はもんじゅ廃炉の流れでも、従来通りの高速炉路線を掲げており、過去の主張はうそだったことになる。
 一方、政府は使用済み核燃料を全て再処理してウランとプルトニウムを取り出し、資源として利用する核燃料サイクルは堅持する方針だ。しかし今後、ウランとプルトニウムの混合酸化物(MOX)燃料を使うプルサーマル発電が進めば、使用済みMOX燃料が発生する。再処理が難しい使用済みMOXは、高速炉の実用化が進まなければ直接地面に埋めるなどの処分方法しかなく、政府の「全量再処理路線」は破綻し、サイクルの行き詰まりは一層鮮明になる。
 サイクルは余剰プルトニウムの問題も抱える。プルサーマルなどによるプルトニウム利用は進まず、日本は47・9トン(昨年末時点)を保有する。核兵器保有国を除けば世界的にも突出した量で、プルトニウムの使い道である高速炉がなければ「核兵器に転用するのではないか」との安全保障上の疑念を招く。政府は青森県の使用済み核燃料再処理工場を今後稼働させる方針だが、そうなれば保有量はもっと増える。サイクルを見直さなければ、日本はプルトニウムを狙うテロの脅威も一層抱える。
 今回の政策決定過程にも疑問がある。「もんじゅの廃炉方針」や「サイクルの堅持」は、誰がいつ、どう決めたのかは不明で透明性に欠けている。発表のタイミングは臨時国会(26日召集)直前で、国会のチェック機能も働いていない。政府の高速炉開発会議も、議論の透明性が確保されるのか。高速炉や核燃料サイクルを推進するなら、独立した第三者機関による徹底した検証が必要だ。
 高速炉の開発は今後30年以上かかる息の長い取り組みになる。その一方、余剰プルトニウムや核のごみの処分といった問題のほか、東京電力福島第1原発の廃炉処理や除染廃棄物の処分といった課題は目の前にある。旧来の高速炉や核燃料サイクルに固執するようでは、福島事故で失われた原子力政策への国民の信頼は回復されないだろう。それよりも、原子力技術が生み出した負の遺産への後始末に全力を注ぎ込むべきではないか。【聞き手・中西拓司】

自主技術を無駄にするな 菊池三郎・公益財団法人原子力バックエンド推進センター理事長

 資源のない日本にとって、核燃料サイクルは率先して手に入れないといけない技術だ。通常の原発である軽水炉で燃料に使えるウランは1%以下しかない。99%以上を占める燃えないウランをプルトニウムに変えて増殖し、繰り返し使うことで、海外に依存しない「準国産エネルギー」が得られる。高速増殖原型炉「もんじゅ」はその中核となる日本の自主技術だ。無駄にすべきではない。
 高速増殖炉開発は戦後間もなく始まり、日本の産学官が連携して進めてきた。実験炉の常陽は1977年に稼働し、原型炉のもんじゅも少ないながら発電実績があり、日本は開発のトップグループにいる。実用化にはこの先、経済性を確かめる実証炉、150万キロワットクラスの大型の実用炉を目指す必要がある。ロシアはすでに実証炉を稼働して発電を始めた。中国やインドも追随し各国がしのぎを削っている。もんじゅを廃炉にすれば日本の技術開発はそれだけ出遅れ、ライバル国を喜ばせるだけだ。もんじゅの代わりにフランスで計画中の実証炉「ASTRID(アストリッド)」を利用する計画もあるが、モノを持たずに人や技術が育つのか。日本もASTRIDに対抗する原子炉を持ってこそ、お互いの技術を伸ばせる。
 安全保障上の観点も重要だ。核兵器に転用できるプルトニウムを平和利用に限ることを条件に、日本は日米原子力協定で米国に核燃料サイクルを認められている。もんじゅが廃炉になればプルトニウムが利用できず、2年後の協定改定に大きな影響を及ぼす懸念がある。
 規制のあり方にも問題がある。新しい保守管理制度が2008年に始まった際、あまり議論をしないままもんじゅに軽水炉と同じ制度を導入したことが、1万件もの点検漏れを招いた背景にある。もんじゅは一品物の研究開発炉で、ある程度のつまずきは避けられない。そこを理解しないまま原子力規制委員会は、運営組織交代という一方的な退場勧告をしたように思える。いかに電力やメーカーの協力を得ても、ナトリウムの扱いを知っている人でなければ運転はできない。規制委は、中枢にいる人のモチベーションを高める指導をすべきではないか。
 もんじゅはナトリウム漏れ事故などトラブルが続き、事故直後のビデオを隠す不祥事もあった。ただその多くは、組織や人の意識を高めれば未然に防げる。当時運営主体の旧動力炉・核燃料開発事業団に「運転できなくても経営に影響しない」という甘さがあった。これほどの停滞を自ら招いたことは残念だが、信頼は必ず回復できる。ナトリウム漏れ事故を受けて私が建設所長に就任した時は、地元の福井県ですらほとんどの市町村がもんじゅに反対だった。隠蔽(いんぺい)体質を徹底した情報公開で改め、長い時間をかけて理解を得る活動を続け、今では地元自治体のほとんどがもんじゅに賛成だ。
 もんじゅを廃炉にするのは、軽水炉の再稼働を進めるための「いけにえ」としか見えない。高速増殖炉は実用化に長い時間がかかるかもしれないが、百年の大計で臨むべきだ。【聞き手・酒造唯】

運転実績、22年で250日

 高速増殖原型炉「もんじゅ」は、原発の使用済み核燃料から取り出したプルトニウムとウランを燃料とし、使った以上のプルトニウムを生み出す「夢の原子炉」と言われた。1994年4月に臨界を達成したが、95年12月にはナトリウム漏れ事故を起こすなどで22年間の運転実績は250日。2012年に約1万件の機器点検漏れが発覚し、原子力規制委員会が運営主体(日本原子力研究開発機構)の変更を求めていた。政府は年内に廃炉を正式決定する。

 ■人物略歴
よしおか・ひとし

 1953年生まれ。東京大大学院理学系研究科博士課程単位取得退学。専門は科学技術史。東京電力福島第1原発事故後、政府の原発事故調査・検証委員会の委員を務めた。

 ■人物略歴
すずき・たつじろう

 1951年生まれ。東京大原子力工学科卒、米マサチューセッツ工科大修士修了。専門は原子力政策。2010年1月〜14年3月、内閣府の原子力委員会委員長代理を務めた。

 ■人物略歴
きくち・さぶろう

 1941年生まれ。京都大工学部原子核工学科卒。旧動燃でもんじゅ建設所長や理事を歴任。フランスからのプルトニウム輸送を指揮しミスタープルトニウムと呼ばれる。2005年から現職。

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