【記事66626】3・11と原発事故 想定できたはずだ (2018年03月09日)(東京新聞2018年3月9日)
 
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3・11と原発事故 想定できたはずだ (2018年03月09日)

 各地の裁判所が「福島第一原発事故は想定外の津波によるもの」という東京電力の説明に「ノー」を突きつけている。原因を究明し、教訓に学びたい。

 全国の裁判所で、国と東京電力を相手にした損害賠償請求訴訟が起こされている。集団訴訟だけで約三十件。原告の総数は一万人を超える。主な争点は、国や東電は大津波の危険性を予見できたか、対策を取っていれば防げたか、という二点である。
 昨年三月、前橋地裁で原告勝訴の判決が出た。その後、福島、千葉でも原告が勝ち続けている。

◆津波は予見できた

 事故直後は「千年に一回の巨大地震で、専門家でも予測できなかった」といわれることもあったが、二〇一二年に政府、国会、東電、民間の四つの事故調査委員会がそれぞれ報告書を発表。国や東電がどう対応していたかが明らかになった。
 要点を紹介すると(1)〇二年に政府の地震調査研究推進本部が巨大津波の可能性を記した長期評価を公表(2)〇六年に東電は「敷地を越える津波で全電源が喪失する危険性がある」と保安院に報告(3)〇七年、新潟県中越沖地震が発生。東電柏崎刈羽原発で想定を超える揺れを観測(4)〇八年に東電設計が長期評価を基に津波は最大一五・七メートルで、高さ十メートルの防潮堤を設置すべきだと報告(5)同年、東電は土木学会に津波対策の検討を依頼。防潮堤の建設を先送りした−となる。
 裁判で東電は「津波は予見できなかった」と主張したが、「(東電は)長期評価から予見される津波対策を怠った過失がある」(福島地裁判決)などとされた。〇八年には防潮堤の高さまで検討が進んでいたのだから、原発敷地を越える津波の危険性を認識していた、と考えるのが自然だろう。

◆安全に絶対はない

 前橋地裁判決は「事故の原因は配電盤が被水したことによる機能喪失」であって、津波が防潮堤を越えても「非常用電源および配電盤が高所に設置されていれば回避することができた」としている。
 裁判の過程で初めて明らかになったこともある。
 例えば、千葉地裁に提出された陳述書で、長期評価が発表された直後、当時の経済産業省原子力安全・保安院が東電に「福島沖で津波地震が起きたときのシミュレーションをすべきだ」と求めたが、東電の反発を受け、見送っていたことが明らかになった。陳述書には東電の電子メールの写しがあり、保安院の要請に対して「四十分間ぐらい抵抗した」といった生々しい文章があった。東電にとって「想定外の津波」とは「想定できなかった」ではなく、「想定しないことにしていた」という意味だったことがわかる。
 このメールは事故から七年もたって、やっと公開された。それも東電側が発信したメールなのに国側から出されたのである。東電がいかに不都合な情報を隠しているかが分かる。裁判がなければ国も公表していなかっただろうことは想像に難くない。
 昨年六月には東電元会長らの刑事責任を問う裁判も東京地裁で始まった。今後、刑事裁判が進めば、検察庁が収集した証拠類も示されるだろう。
 裁判を通じて真相が明らかになるのは歓迎だが、そもそも原因究明は当事者である政府と東電の責任だ。国会事故調は、地震動で原子炉がダメージを受けた可能性を指摘したが、いまだに解明されていない。技術面だけでなく、マネジメント面に関しても、再調査が必要ではないか。
 東電は地震学者の警告に耳を貸さなかった。今、火山学者は噴火予知はできないと警告する。
 にもかかわらず、四国電力は愛媛県の伊方原発を再稼働しようとした。広島高裁が阿蘇山の巨大噴火に伴う火砕流リスクを考慮して運転差し止めを命じた。九州電力は「噴火は予知できる」として鹿児島県の川内原発を再稼働させている。
 政府は「原子力規制委員会によって安全が確認された」「世界最高水準の安全基準」という説明を繰り返す。しかし、規制委の田中俊一・前委員長は「安全に絶対はない」と言っていた。新たな安全神話をつくり出してはいけない。

◆再エネ福島に学ぶ

 七年後の今も原発周辺には帰還困難区域が広がる。近くだけではない。事故直後は三十キロ以上離れた場所に住んでいた人たちも故郷を離れさせられた。家族がバラバラになった人も少なくない。このような犠牲を払ってまで原子力で電気をつくる必要があるのか。
 事故後、福島県では太陽光発電、風力発電といった再生可能エネルギーの発電設備が次々と誕生している。これが事故から学ぶべき教訓である。

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