[2019_04_12_03]スリーマイル島原発事故(1979.3.28)から40年 1986.4.26チェルノブイリ原発爆発事故 それでも「日本の原発は安全だ」と強弁し対策を怠った 2011.3.11東電福島第一原発4機が過酷事故 それから8年、再び原発大事故発生が近づいている 菅井益郎(たんぽぽ舎アドバイザー)(たんぽぽ舎2019年4月12日)
 
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スリーマイル島原発事故(1979.3.28)から40年 1986.4.26チェルノブイリ原発爆発事故 それでも「日本の原発は安全だ」と強弁し対策を怠った 2011.3.11東電福島第一原発4機が過酷事故 それから8年、再び原発大事故発生が近づいている 菅井益郎(たんぽぽ舎アドバイザー)

◎ 1979年3月28日アメリカのペンシルベニア州のスリーマイル島原発2号機が、冷却材喪失による炉心溶融事故を起こしてから40年が経った。
 4月5日急遽全国各地から集まった住民は通産省資源エネルギー庁に押しかけ、全国の原発の即時停止と総点検を求めて徹夜交渉を行なった。反原発の世論がまだそれほど大きくなかった時代である。あの徹夜交渉は今も鮮明に記憶に残っている。
 それまで政府や電力会社は幾重にも安全装置が付いているので絶対に炉心溶融事故は起こらないと喧伝してきた。
 しかし実際に、TMI原発で炉心溶融事故が起こると、原発の基本技術はアメリカに依存しながら日本の技術は優れているから日本の原発は安全だと強弁し対策を怠った。
 一方アメリカではTMI原発事故の反省に立ってさまざまな安全対策設備の設置と具体的な避難計画の策定を義務づけた。アメリカにおける原発建設コストは急上昇し、新規の原発建設は止まった。

◎ TMI原発事故の7年後の1986年4月26日、旧ソ連邦ウクライナのチェルノブイリ原発4号機が出力試験中に原子炉暴走・爆発という大事故を起こした。
 その13年後の1999年9月30日には東海村の核燃料加工施設JCOで臨界事故が発生した。
 それから12年後の2011年3月11日東日本大震災にともなって東電福島第一原発の1〜3号機が炉心溶融事故を起こしたのである。3機同時の炉心溶融事故は驚天動地であった。
 世界はいっせいに脱原発、再生可能エネルギーへと舵を切った。地震により原発事故が発生して震災と放射能の両方に対応を迫られた。地震学者の石橋克彦さんが「原発震災」として警鐘を鳴らし続けてきたことであった。

◎ 世界では40年前のTMI原発事故から重大な原発事故が繰り返し発生しているが、東電福島第一原発の事故から8年経って再び原発の大事故の発生が近づいている気がしてならない。
 東電福島第一原発の事故は現在も続いているし、チェルノブイリ原発事故の処理も終わりが見えない。
 TMI周辺住民は1号機の廃炉と事故を起こした2号機の完全な解体処理を要求して今も活動を続けている。彼らの活動は「TMIアラート」のホームページで見ることができる。
   (⇒ Three Mile Island Alert = http://www.tmia.com )
人類はやはり原発とは共存できないのである。

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