[2019_08_24_01]「地震・環境・原発研究会」と私 たんぽぽ舎30周年記念に寄せて 杉森弘之 (茨城県牛久市議会議員)(たんぽぽ舎2019年8月24日)
 
参照元
「地震・環境・原発研究会」と私 たんぽぽ舎30周年記念に寄せて 杉森弘之 (茨城県牛久市議会議員)

◎ 戦後50年の1995年1月17日に発生した兵庫県南部地震(阪神淡路大震災)は、死者6,434人と戦後最も大きな死者を出し、しかもその約9割が建物崩壊による圧死であったことは、地震による原発の破壊=大災害の危険性が極めて高く(石橋克彦氏は「原発震災」と造語した)、原発を一刻も早く止めなければならないとの思いを強めました。
 そしてその思いを具現化するために同年、全国各地の反原発訴訟・運動で活躍されている地質学者の生越忠氏、国学院大学教授(経済)菅井益郎氏、作家の広瀬隆氏が呼びかけ人となり、たんぽぽ舎の柳田真氏が事務局長となって、地震・環境・原発研究会が発足しました。その後、物理学者の藤田祐幸氏も関わりました。
 私も事務局に参加させていただき、会報の発行などをお手伝いするようになりました。

◎ 生越氏の案内で、静岡県函南町の丹那断層や、岐阜県の根尾谷断層、新潟県の柏崎刈羽原発周辺の褶曲地層なども見学しました。
 1996年には「地震と原発全国集会」を開催し、全国の反原発運動の仲間と、夜遅くまで語り合ったことも良い思い出です。
 藤田氏が作成した原発がなくても電力は十分足りていることを示す図表は、大変分かりやすくいろいろなところで活用させてもらいました。

◎ 私は、2001年に住居を茨城県へ移し、2007年に牛久市議会議員に初当選。
 2011年3月4日の市議会定例会で、広瀬氏の『原子炉時限爆弾―大地震におびえる日本列島』を引用しながら、「地震対策」について一般質問しました。
 一般質問の通告をした翌日にニュージーランドで地震が発生したため、被災者へのお見舞いを申し上げての質問となりましたが、この質問の中で、牛久市地域防災計画「震災対策計画編」に東海村をはじめとする原発震災が抜け落ちていることの危険性を指摘しました。
 その1週間後に東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)による福島第一原発事故が発生したため、「おまえは予言者か」と同僚議員からからかわれたりもしました。

◎ 残念ながら原発震災を防ぐことはできませんでしたが、同年9月に土浦市で開催した広瀬隆講演会には、1600人の会場に聴衆が入りきれず、300人ほどお断りしたほどでした。
 私は牛久市で「原発いらない牛久の会」の結成に加わり、たんぽぽ舎の山崎久隆さんに定期的に講演してもらっています。
 さらに、茨城県南部を中心とする脱原発ネッワーク茨城、東海第二原発の再稼働に反対する茨城県自治体議員連盟の結成にも参加してきました。
 「とめよう!東海第二原発首都圏連絡会」の結成とその活躍は、大変頼もしく感じています。

◎ いま、東海第二原発30km圏内の枠を打破して、県南地域の市町村でも東海第二原発の説明会を開催するよう求める署名運動を、4市で準備しています。
 福島第一原発事故で牛久市も、ホットスポットとして、野菜などの出荷が禁止・制限されています。
 原発被害者の立場で、主張・要求を強めていきたいと考えています。
 今後ともよろしくお願いいたします。

※より
 杉森弘之氏の文章は、「たんぽぽ舎30周年によせて」のメッセージ
 として10番目となります。
事故情報編集部
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