以下は地震の事典(第2版)より、関東地震(関東大震災)の記述を抜粋(一部修正有り)したものである。

【関東地震】
○発生年月日・時分:1923年9月1日11時58分
○北緯:35.1 東経:139.5
○深さ:s(※)
○M:7.9
○震央地名:相模湾
※sとはプレート境界面付近の地震で深さ0〜100kmの範囲とみられるもの

 相模トラフ北部のプレート境界地震(右ずれ逆断層)で日本史上最大の災害をもたらした.
 上記の震央は震源域の中央付近をとっているが,全世界の観測データからは35,4DN,139.2=E(金森・宮村,1970),また,日本のデータからは35.35°N,139.150E(浜田,1987)と求まっており,断層の破壊はこのあたり(神奈川県西部)から南東方へ広がったものとみられる.
 相模湾北岸と房総半島南部では,木造家屋全潰率が30%を超え,70%を超える地区がかなり広く,90%を超える地区もある.東京市では焼失したところが多いため詳細はわからないが全潰家屋は2千〜3千と推定され,全潰率は低い.山手の台地上では土蔵の被害が多かった.府下大森・馬込・千住・三河島・王子・町田では被害が大きかった.山梨県東部に木造家屋全潰域が延びており,全潰率のかなり高い地区がある.埼玉県東部の荒川に沿った地域・茨城県西部の鬼怒川・小貝川流域・山梨県中部にも木造家屋全潰のあった地域が広がっている.
 東京・横浜・横須賀・小田原等で火災の被害が大きく,この地震の被害の大半は火災によるものである.東京市内では約160か所から出火し,ほぼ半数はただちに消火されたが,あとの半数が延焼し,2日6時ころにはほぼ鎮火したが,完全に鎮火したのは,3日10時ころであった.焼失面積約3,830ha,焼失戸数37万弱.東京市内で100人以上焼死した場所が10か所ある.とくに本所被服廠跡(面積約6ha)では焼死3万8千余.いずれも避難民が集まった所が火災に取り囲まれて,惨事になったものであるが,もち込んだ家財道具が被害を大きくした.焼失区域の中にあって,神田佐久間町一円は,住民の協力の結果焼けずに残った.横浜でも宅地面積の約75%,950ha,全戸数の60%,約6万軒を焼失した.
 全体で死者・行方不明者併せて14万余,家屋全潰12万8千余,半潰12万6千余,焼失44万7千余.
 神奈川県西部や房総半島南部の山地で山崩れが多く,とくに根府川〈小田原市〉の山津波は白糸川上荒からはげしい勢いで流れ下った100〜300万m3の土砂が根府川部落170戸を全部埋没した.また,地すべりのため,東海道線根府川駅に停車中の列車が海中まで押し流された.
 地震後の水準および三角測量の結果,地殻変動が明らかになった.房総半島南部,三浦半島は1m以上隆起したが,丹沢山付近を中心とする内陸部は最大約80cm沈下した.相模湾の海底でも大きな地形変動があったという測深結果の報告がある.このほか,南下浦断層(三浦半島南部)・笹下断層(横浜市南部),延命寺断層(房総半島南部)等の副断層を生じた.茅ヶ崎では鎌倉時代のものと推定される橋脚が田の中から姿を現し現在も保存されている.
 熱海では地震後約5分で津波来襲,第2波が最大で湾奥で波高40尺,網代湾奥では24尺,初島では5〜6尺.鎌倉で6m,由比ケ浜で水死20.房総半島相ノ浜では波高31尺,布良20尺,館山6尺.流失家屋静岡県(伊豆東岸)で661,神奈川県136,千葉県11.