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平成26年(ヨ)第31号,平成27年(モ)第38号
債権者 松田正ほか8名(平成26年(ヨ)第31号は高橋秀典外4名)
債務者 関西電力株式会社
第25準備書面
―基準地震動の超過確率―
平成27年10月6日
福井地方裁判所民事第2部 御中
債権者ら代理人弁護士 河合弘之
ほか

第1 日本地震学会での議論

1 浜田信生「原発の基準地震動と超過確率」(2013年9月)
 日本地震学会会員の浜田信生氏(地震学,火山学)は上記の表題にて,「過去10年間に,基準地震動を上回る地震動が4つの地震で観測されたということになる」「それぞれの場所で1万年に1回以下の頻度でしか期待できない希有の地震動が10年間に4回も起きるとはいったいどういうことだろうか」等述べて問題提起を行い,この文書は日本地震学会のニュースレターに掲載された(甲376)。
 浜田氏は,長年気象庁に勤務して地震に携わってきた経歴があり,K‐NETやKiK‐netでの観測記録も参照しながら,「基準地震動の値が1万年に1回以下の頻度でしか観測されない希な値とは筆者には思えない。実際の超過確率はせいぜい1000年から100年に1回程度でしかないと思われる」と述べた。そして特に,基準地震動の策定に関わった学会員には説明責任があると呼びかけた。
 浜田氏はこの文書を作成する直前まで独立行政法人原子力安全基盤機構(2014年に原子力規制庁に統合)に勤務しており(甲376,387),福島原発事故後の原子力規制の内情を知る者でもある。その者が「実際の超過確率は10倍から100倍以上」と言っているのであり,この問題提起の意味は重い。

2 泉谷恭男「浜田信生『原発の基準地震動と超過確率』に関連して考えたこと」(2013年11月)
 信州大学工学部教授の泉谷恭男氏(地震学,地震工学)は,この問いかけを受けて,基準地震動そのものについてより厳しい批判を行った(甲378)。泉谷氏は,雨量についてはせいぜい100年に1度の頻度の大雨の雨量の予測しか行われておらず,1万年に1回の雨量を予測するのは暴挙だと言った専門家の話を引き,これとの対比で1万年に1回の地震動の予測は「乏しい数のデータから分布関数を決定してその端っこの部分を使うという神業的な仕事」で「『科学』とはとても呼ぶことが出来ない」「そういうものを科学的に真か偽か論じることは不毛」と切り捨てた。同じ自然現象である,地震と降雨のそれぞれの予測の背景を別紙のように対比しまとめてみると,同氏の主張が説得力を持つことが分かる。
 泉谷氏は,「現在の原発審査の手続きでは,科学者が基準を決め,その基準さえ満たしていれば原発は稼働可能ということになっている。事故が起きた場合にはどんなに悲惨な災害が起きるかなどについて考慮されることはない」,基準地震動を決めるというのは「国の政策との関連においてなされる仕事」であり,「自分たちにとって都合の良い予測値になるように恣意的にデータを選んだり分布関数を選んだりするから,解析者(原発推進派か脱原発派か)が違えば予測値が違うのは当たり前」と述べる。泉谷氏は平成20年頃に「総合資源エネルギー調査会原子力安全・保安部会」の委員を務めた経験があり(甲380),いわゆる「原子力ムラ」が恣意的に基準地震動を決めてきたことを知って,ほとんど公然と批判しているのである。
 そして同氏は,基準地震動の決定には,科学者ばかりでなく色々な価値観を持った人が開かれた公共空間で議論を行って「社会的判断」によって行われるべきものであると主張した。

3 増田徹「基準地震動と超過確率と安全」(2014年1月)
 浜田氏及び泉谷氏の問題提起に対し,地質地震関係のコンサルティング業務では最大手の企業として知られている応用地質株式会社の従業員であった増田徹氏(地震学,地震工学)が,2014年1月の日本地震学会のニュースレターにコメントを寄せた(甲382)。増田氏は,基準地震動の策定にもっとも深く関わった有識者の一人である。
 同氏は,基準地震動の策定手順や超過確率の計算方法に誤りはない旨を述べた。しかし一方で,明治以来日本では80回余りの大地震による大きな被害があったことを挙げ,基準地震動を越える強震動が原子力発電所で観測されることはそれほど稀有ではなく,計算結果が間違っていなくともこれを超える事実が観測されるのが「地震発生の自然」と述べている。基準地震動の定義に照らすとこの説明は「基準地震動は,極めてまれではあるが稀有ではなく発生する可能性がある強震動」となる。その上で「改めるべきは基準地震動と超過確率を結びつけた方針そのもの」とも述べている。基準地震動を作った張本人とも言えるような人物が,基準地震動と超過確率を結びつけることを否定したのである。
 これらの意味深な言葉を敢えて解釈するならば,「基準地震動を越える地震動の発生は,実際にはまれではないことは分かっていたが,世間向け(あるいは脱原発派向け)に『極めてまれ』ということにしていた。定性的表現でしかないならばある程度誤魔化すことが出来た。しかし『超過確率』という定量的な基準を持ち出すと,欧米の基準に合わせた数字にしなければならず,観測記録によって早々に矛盾が露呈してしまうので,基準地震動に『超過確率』を導入したことは間違いだった」ということだと思われる。
 さらに増田氏は「揺れが基準地震動を超え,あるいは超えていなくとも,施設に損傷が生じる可能性は否定されない」「地震学的知見は,観測記録の解析からは評価地点に影響する地震の発生する時期と場所及び規模を正確に予測することは困難であることを示している」と,責任逃れとも受け取れる記述ではあるが,原決定とほぼ同じ趣旨のことを述べていることも特筆すべき点である。

4浜田信生「『原発の基準地震動と超過確率』に寄せられた意見についての感想」(2014年7月)
 泉谷氏及び増田氏の前記意見に対し,さらに浜田信生氏は,「『原発の基準地震動と超過確率』に寄せられた意見についての感想」という題でコメントを公表している(甲383)。
 浜田氏は,泉谷氏の見解について,「基準地震動や超過確率が科学ではなく議論する価値もないと断定しているが,実際に基準地震動策定に関わっている関係者の多くは,科学的と信じており,これをすり替えて一般社会に説明してきたことは問題がある」と述べている。
 増田氏の見解については,「禅問答」とした上で,「超過確率と観測事実は両立するというのは,計算上の超過確率と観測事実がもはや関係がないからという意味では正しい。以上の文脈からすれば,『基準地震動を越える強震が観測されることは,稀有ではない』というのは,真の超過確率は1万年に1回のような低いものではないということを主張していると解される」と皮肉を交えて論評している。その上で,「浜田(2013)も泉谷(2013)も増田(2014)も,その表現は異なるが,基準地震動の超過確率に関する精度や信頼性についての認識には,大差はない」との認識を述べている。つまり,原子力に関わってきた3人の専門家全員が,基準地震動の超過確率の精度は極めて低く,まったく信頼できないと認識しているということである。
 また増田氏が,「基準地震動と超過確率は切り離すべきである」と主張したことに関連して,「基準地震動と計算上の超過確率を結びつけ,それを確率論的安全評価や残余のリスク評価に用いることはもはや不可能」と断言し,現状では安全評価を国際的な指針に合わせることは困難であるとの見通しを示した(甲384参照)。

5 泉谷泰男「『日本地震学会の改革に向けて:行動計画2012』の社会的意義」(2015年1月)
 泉谷氏は,2014年5月21日の大飯原発訴訟判決や前記浜田(2013),泉谷(2013),増田(2014),浜田(2014)などの議論を踏まえ,総括的なまとめとして「科学的に曖昧な事柄に関してある基準を定めなければならないという問題は,科学ではありながら科学だけでは解決できないトランスサイエンスの領域(例えば,川勝,2012)に属する問題で,多様な価値観を持つ人たちによって開かれた場での議論を通じて解決されなければならない」「判決内容は社会的判断であって,地震学者として立ち入るべき領域ではない。ただ...今の地震学における等身大の知見に基づいて社会的判断がなされたという事実,それ自体につては,高く評価すべきである」と所感を述べている(甲385)。

6 その後の議論状況
 その後,浜田信生氏の基準地震動と超過確率に関する問題提起について,学会員からの反応はない。
 この現状について,浜田氏は債権者代理人に対し,「他の会員,特にこれまで原子力に関わってきた会員から反論がないのは,反論材料が見つからないということの他に,基準地震動の詳細な内容を理解していないので,反論が出来ないということもあるのではと思います。つまり基準地震動とその超過確率は,そもそも地震学者の間で広く理解され,支持されてきたものではないということです。」(甲387)と述べている。

第2 超過確率は信用できない

 前記第1により,既に基準地震動の超過確率が信用するに値しないものであることはほぼ明らかと思われるが,改めてその根拠となるべき事項を整理する。

1 超過実績は想定の300倍以上
 原決定は,10年足らずの間に想定した地震動(基準地震動)を超える地震が5回超過した事実を認定した。
 正確には,平成23年3月11日には福島第二原子力発電所と東海第二原子力発電所,同年4月7日には女川原子力発電所でも,各1度ずつ一部の周期帯で基準地震動を超えているので,全部で8回である(甲388)が,原決定に合わせて取り敢えず5回ということにする。
 この超過事実には2006年(平成18年)に耐震設計審査指針が改訂される前の事実も含まれているが,基本的には基準地震動の形式は現在まで概ね踏襲されており,超過確率は,当時からほとんどの場合,10‐4〜10‐5/年,場合によっては10‐6/年ということになっていたため,一括して評価することも十分可能である。
 以上の前提で超過実績値を計算すると,全国の商業用原子炉が17サイトであるので,
17×10/5=34(/年)となる。
つまりサイト単位では,34年に1回は超過する計算である。基準地震動の超過確率が炉年単位だとすると単純比較は出来ないが,想定と300倍以上違うと言っても間違いではないだろう。
 1万年から10万年に1回の想定が正しければ,全国17サイトが継続的にあるとしても,人が一生の間に1度お目にかかることさえ相当希な事象となる。それが10年で5回(ないし8回)もあるとなれば,偶然ということは考えられない。基準地震動の数値設定自体が1万年に1回以下という意味での「極めてまれ」ではないことは明らかである。
 本件各原発については,基準地震動は当初の約2倍まで引き上げられたため,今は34年に1回ということはないと期待したいが,債務者が本件高浜原発において作成している次のハザードスペクトル(乙163)上,500ガル程度の地震動でもなお1万年に1回以下とされており,低頻度の事象が頻繁に起こったという矛盾は何ら変わっていない。基準地震動の策定方法自体は福島原発事故前と大きな変化はなく,たかだか当初の2倍程度に留まるというべきであり,債務者は短期間に繰り返し基準地震動を超過した事実を十分に踏まえて新たな基準地震動を策定してはいない。浜田氏は100年から1000年に1回程度の超過確率と述べているが,実際はそれ以上の頻度である可能性も高い。

2 地震学者の支持を得られていない
 基準地震動は,地震学及び地震工学的見地から「施設の供用期間中に極めてまれではあるが発生する可能性がある」地震動として定められていなければならず(耐震設計審査指針「3.基本方針」),とりわけその「超過確率」については,基準地震動の「極めてまれ」という定義上本質的なものであり,純粋な地震学ないし地震統計学的な見地から見解が示されるべきものである。
 この点,前記第1の議論を行った浜田氏,泉谷氏及び増田氏は,全員,基準地震動の超過確率は1万年に1回以下ではなく,それ以上の頻度で発生することを認めている。
 また,議論があまり発展することなく収束したことからは,多くの地震学者が基準地震動も超過確率も内容を詳しく知らないということがうかがえる。つまり,基準地震動も超過確率も,地震学者によって広く支持されてきたものではないということである。地震学者が支持をせず,むしろ否定しているものを根拠にして,人格権侵害のおそれを判断すべきではない。
 2015年3月付け日本地震学会モノグラフ「日本の原子力発電と地球科学」(甲389)において原子力推進に批判的な論文が多く掲載されていることからうかがわれる通り,多くの地震学者は,「施設の供用期間中に極めてまれではあるが発生する可能性がある」最大の地震動を合理的に予測できないと考えており,そうである以上日本における原子力発電所の稼働には慎重な姿勢を取らざるを得ないと考えている。

3 観測記録が少なすぎる
泉谷氏,増田氏を始め多くの地震学者が異口同音に述べることは,1万年に1回以下という極めて低頻度の地震動の大きさや確率を探る上で,数十年分の地震動の観測記録では,余りに少な過ぎるということである。
 この点,雑誌「科学」2012年6月号(甲52「地震の予測と対策:『想定』をどのように活かすのか」)に掲載された纐纈教授の次の発言から,観測記録が少なすぎることが地震予測にとって致命的である理由をうかがい知ることができる。
 「地震という自然現象は本質的に複雑系の問題で,理論的に完全な予測をすることは原理的に不可能なところがあります。また,実験ができないので,過去の事象に学ぶしかない。ところが地震は低頻度の現象で,学ぶべき過去のデータがすくない。私はこれを「三重苦」と言っていますが,そのために地震の科学には十分な予測の力はなかったと思いますし,東北地方太平洋沖地震ではまさにこの科学の限界が現れてしまったと言わざるを得ません。」
 仮に地震が複雑系ではなく,地震ないし地震動について単純で完全な法則性が明らかだとしたら,比較的短い観測期間で1万年に1回の現象も予測することが出来るかもしれない。実験が可能な場合も同様である。しかし実際はそうではないため,低頻度の現象からデータを集積して少しずつ知見を進展させていくしか希に起こる大地震を予測する方法がない。東北地方太平洋沖地震の「想定外」による悲劇(福島原発事故を含む)は,この「三重苦」のために,あるいは「三重苦」があるにもかかわらず地震・津波の予測の力を過信し過ぎたために,生じたと言える。「三重苦」の問題は,内陸地殻内地震でもプレート間地震でも基本的には変わらない。東北地方太平洋沖地震がプレート間地震だからと言って,この事実に何も学ばなければ,今度は債務者が同じような悲劇を生じさせることになるであろう。
 この「観測記録の少なさ」の問題について,津波学者の首藤伸夫氏は,以下のように人体にたとえて述べる(甲328「原発と大津波」42頁)。

「地球の歴史をざっと50億年と考えて,人間の50年の人生に比較したとすると,地球にとって30年というのは,人間にとっての10秒ほどにすぎない。地震の観測が詳しくなったここ30年の期間なんてそんなものですよ。10秒の診察では,人間の病気は分からない。」

 泉谷氏は,「もしも科学的真理に近いと評価できるような1万年に1回以下の基準地震動を得たければ,例えば100万年間くらいの地震観測をしなければならない」と述べる。少なくとも,30年ではあまりに短いことは明白であり,そのことは,地震学者の間でも異論がないものと思われる。
 地震調査研究推進本部が30年以内の長期評価しか行わない(甲390)のは,現在の地震観測記録では予測の限界が30年程度であることに起因していると推認される。
 「認識論的不確定性」「偶発論的不確定性」という言葉があるが,地震学が発展してきたのはここ数十年程のことであり,何が分かっていないのかもよく分からないのが現状であろう。それが1000年に1度,1万年に1度と,頻度が下がるごとにどの程度巨大な地震動が生じうるのかを予測する上で,大きな障害となっているのは間違いない。
 1万年に1回以下の巨大地震を合理的に予測することは現在の地震学では不可能であり,基準地震動ないし基準地震動の超過確率は,まったく信用するに値しない。

4 恣意的な操作をされている
 泉谷氏は,1万年に1回の地震動の予測は「乏しい数のデータから分布関数を決定してその端っこの部分を使うという神業的な仕事」であり,「これは非常に危ない」と述べる。何が危ないかと言うと,「自分たちにとって都合の良い予測値になるように恣意的にデータを選んだり分布関数を選んだりするから,解析者(原発推進派か脱原発派か)が違えば予測値が違う」ということだと述べる。泉谷氏は「総合資源エネルギー調査会原子力安全・保安部会」の委員を務めていたことからすると,実際の経験に基づいた言葉であると考えられる。
 超過確率は合理的な算出が不可能であることが影響し,恣意的な算出が比較的容易である。したがってこれを絶対に利害関係者に行わせてはならず,中立公正な第三者が基準を作成し,算出しなくてはならないものである。
 ところが現在も使われている基準は,原子力産業の利益共同団体である日本原子力学会が,電力会社の社員や大手建設会社の社員とともに,福島原発事故前に作成したものであり(乙141・xiiを見ると,「地震ハザード評価部会」の委員の多くが電力関係会社と大手建設会社の社員で占められている。),電力会社と大手建設会社の利益優先で作られている可能性が高い。
 しかもこれに当てはめて数字を算出しているのは,原子力発電の事業者たる債務者自身である。初めから高い頻度を算出するはずもない。そして,TIやTFIという取り纏め役を誰が務めたのか,専門家ないし科学者集団を選定したとして誰を選んだのかを始め,誰がどのような手順で何を根拠に10‐4以下という数字を算出したのか,重要な部分はすべてブラック・ボックスとなっており,透明性は極めて低い。原子力規制委員会では審査ガイド上「参照」扱いであるため,審査は形式的で踏み込んだ審査はなされない。データや関数の選出に,債務者の恣意が入り込むおそれが非常に大きい。
 平成15年以降,東京電力株式会社は自社に都合のいいように津波の発生頻度を算定し,福島第一原発に想定を上回る高さの津波が到達する頻度は数千年分の1と見積もっていたことが大事故を招いた 。事故後,JNESが事故前の地震学的な情報に基づいて計算をし直したところ,約330年に1回という結果になっている(甲1「国会事故調」91頁)。
現在のように算定手続について債務者から詳細な説明がない状態では,事故前の東京電力が行ったことと同じことが債務者における基準地震動の超過確率算定手続において行われていると疑わざるを得ない。

5 超過確率は「想定外」の事象の確率を算出していない
 そもそも将来発生する事象の確率の算出において,既知の事実と当時の知見からは予想不可能という意味での「想定外」の事象の発生を考慮することは,極めて困難である。しかし実際には,多くの「想定外」の事象が発生している。東北地方太平洋沖地震にしても,中越沖地震にしても,「想定外」の地震であった。一方,後述する日本原子力学会の2007年の基準も,その改訂版である「201*基準」も,基本的には既知の事実と当時の知見に基づいて算定枠組みを決めている。「想定外」の事象が多数発生しており,「想定外」が将来も起こることはほぼ確実なのであるから,本来であれば,「今後どの程度の確率で『想定外』の事象が発生するか」を超過確率の算定枠組みに含めなければならない。しかし,おそらくそれに対するアプローチは検討すらされていないと思われる。結果として,浜田氏らが述べる通り,超過確率は実現象とは無関係な虚構の計算結果となっており,そういう意味では超過確率は「科学」の名に値しない。
 この観点からすれば,増田氏が暗に述べる通り,それぞれの場所で1万年に1回以下の頻度でしか期待できない希有の地震動が10年間に5回も8回も起きたことは,なんら驚くに値しない。「1万年に1回」という確率が,実現象の発生確率を現すものでない以上,本件における人格権侵害のおそれの有無の判断において,考慮すべきではない

第3 超過確率の国際水準について

1 国際基準について
 2003年に国際原子力機構(IAEA)が発行した「原子力発電所の耐震設計と認定」と題する安全指針(NS‐G‐1.6)では,設計基準の地震規模として,発生頻度が10‐3〜10‐4(平均),10‐4〜10‐5(メジアン)と設定する考え方が示されている(甲391,392)。
 2011年の福島原発事故をきっかけに,欧州原子力規制者グループ(ENSREG)の主導および助言によってヨーロッパで実施された「ストレス・テスト」の報告書でも,ほとんどの国々が「10,000年に1回」以下を選んでいる。

2 日本の原子力安全水準は「ガラパゴス」
 日本の基準地震動ないしその超過確率は,数字の上では概ね国際水準は満たすようであるが,これまで縷々述べてきた実質を見る限り,国際水準に劣る。
 原子力コンサルタントの佐藤暁氏におると,日本の原子力は国際的な交流が活発ではなく,いわゆる「ガラパゴス化」と評される環境に長く置かれてきた。
 佐藤氏の意見書(甲375の1・2)は主に川内原発の設計基準地震動について触れたものではあるが,これによると,本件各原発について,これまで述べてきた点以外でも,以下の点で国際水準を下回る可能性が高い。
 [1]各基準地震動が原型のスペクトルのまま,あたかも沢山の小さなハンカチをあちこちに当てて凌いでいるかのように追加されており,線分によって包絡されていない(甲375の2・38頁等)。
 [2]本件高浜原発で用いている平均ハザード曲線につき,10‐5年で804ガル,10‐6で1363ガル(いずれも水平方向)にとどまり(乙163スライド15),地震のハザードレベルの遙かに低いアメリカのワッツ・バー,ヴォーグル,サマーの各原子力発電所が設定した同頻度における加速度を下回っており,精度が疑わしい(甲375の2・43頁等)。

第4 超過確率算定手続の具体的な問題点

 債務者は本件各原発の基準地震動超過確率の策定手続について一部しか明らかにしていないが,これまで提出された資料から少なくとも以下の問題点は指摘できる。

1 震源モデルでのばらつきの考慮がない
 特定震源モデルにおいて,債務者は,震源モデルとして,震源,傾斜角,アスペリティ位置及び地震規模を変動要素としてロジックツリーを構成しているが,松田式を初めとした地震規模算定の関係式についてばらつきの考慮がない。
 震源モデルのパラメータとして傾斜角,アスペリティ位置を変動させているが,アスペリティの面積割合や応力降下量等変動の大きい要素がどのように考慮されているのか不明である。結果として超過確率が過小評価されている可能性が高い。

2 観測や予測の誤りの考慮がない
 断層の長さやサイト周辺の地盤等についての観測データは間違っている可能性もある。
 距離減衰式や断層モデルを用いる手法において用いられる「確率分布」の誤りや,領域震源モデルでの発生頻度の領域内各部への機械的な分配における誤り(領域内の各部での現実の地震発生確率は,本来各部ごとによって異なる)などは本来当然必要なのに,債務者によって考慮された形跡が全くない。
 また活断層の活動度や特定の地域における地震の発生頻度については,不確実性が高いので一定の知見を所与のものとすべきではない。
 この点,例えば島崎邦彦氏は,活断層の長期評価で発生頻度が過小評価されている可能性を指摘している(甲361)。
 地震調査研究推進本部事務局作成の平成26年12月19日付「『全国地震動予測地図〜全国の地震動ハザードを概観して〜』の公表について(説明用資料)」(甲393)では,「短い期間の観測データから発生間隔の長い地震を考慮することは困難」「確率が低いのは『強い揺れに見舞われない』という意味ではない」「確率の高低は,安全性の高低を必ずしも意味しない」(12頁)と,当然のことが記載されている。そうであれば,確率予測の誤りも考慮しなくてはならない。

3 ばらつきの打ち切り
 債務者は,地震動伝播モデルのばらつきについてその打ち切り範囲を数標準偏差の3倍としている(乙163スライド1)が,極めて低頻度の事象の可能性を算出する上で,ここでのばらつきの打ち切りが適切なのか不明である。なお,この点は,債務者が対数標準偏差の3倍程度までは考慮すべきことを自認していると見ることができる。

4 最新の知見の反映がない
 2007年の原子力学会基準(乙91,141)は,2007年3月の能登半島地震,同年7月の中越沖地震,2011年3月の東北地方太平洋沖地震といった数々の「想定外」を生んだ地震発生以前に策定された基準であり,最新の知見が反映されたものでは無い。
 日本原子力学会は,これら最新の知見を踏まえて,2007年基準を見直し,その結果は,「原子力発電所に対する地震を起因として確率論的リスク評価に関する実施基準:201※年」(甲369以下「201※基準」という。)としてまとめられ,2014年3月19日から同年5月18日まで,公衆審査(パブリックコメント手続)に付されている(甲394)。
 この点201*基準(甲369)は,中越沖地震や駿河湾の地震の反映として,サイト周辺の深部地下構造のモデル作成や浅部地下構造モデルの作成が求められている(55頁以下)。
 また,震源断層の位置,長さ,傾斜等の全体像が事前に把握されていない伏在断層の特性に留意する(42頁)ことを義務づけている。
 これら最新の知見を取り入れることは重要かつ十分に可能であるから,これを取り入れていないことは瑕疵と言うべきである。

第5 まとめ〜確率論で原発の安全性を確認することはできない
 日本の地震予測においてもっとも権威と専門性を有する機関である地震調査研究推進本部は,平成23年1月1日付けで,福島第一原発には30年以内に震度6強以上の地震が襲う可能性は0.0%と発表していた(甲226)。ところが,そのわずか2ヶ月後に東北地方太平洋沖地震が発生し,福島第一原発を震度6強の地震が襲ったため,外部電源はすべて機能喪失した。地震学の予測能力は,まだこの程度であり,千年以上の間隔で発生するような大地震はまったく予測できないと言っても過言ではない。
 国土交通省河川局作成の平成17年3月付「大規模地震に対するダム耐震性能照査指針(案)・同解説」(甲395)に基づく土木技術資料の「土木構造物の設計地震動(第4回)」(甲396)では,ダムの耐震設計に関し,「レベル2地震動は一般に,大規模地震の震源域近くで観測されるような大きな地震動として設定されます。したがって,確率論に基づいてその発生確率を精度良く評価するためには,大規模地震の発生履歴や震源域近くでの地震動の特性がよくわかっていなければなりません。しかし,これらはどちらも観測事例に乏しく,レベル2地震動を確率論に基づいて設定することを困難にしています。そこで現時点では,対象地点に最も影響が大きいと考えられる地震が発生した場合を想定(地震が発生する確率の大小は考慮しない=確定論)して地震動を推定し,レベル2地震動を設定することがよく行われています。」とされている。大規模地震のデータは乏しいので,ダムの場合には,正に科学的に,確率論ではなく,確定論で地震動の設定が行われているのである。ダムよりはるかに危険な原発について,確率論が採用されるべきでないことは明白である。
 債務者が言う1万年に1回以下という超過確率は,根拠の乏しい虚構に過ぎず,福島原発事故前から続く「安全神話」の吹聴,すなわち「安心・安全キャンペーン」の一環に過ぎない。
 これを安易に取り入れて債権者らの人格権侵害のおそれの有無を判断すべきではない。
以上

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