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これでは「審査」にもならない 北陸電力志賀原発の運転再開は許されない

〈山崎久隆〉〈やまさきひさたか:たんぽぽ舎会員〉

志賀原発2号機運転再開表明

2基の原発しか保有していない北陸電力で、この三年ほどで発覚あるいは遭遇した事件や事故は、日本の原発の、特に沸騰水型軽水炉(BWR)で起きている事態のまるで見本市であった。

発端は2006年6月15日である。

2005年1月に営業運転を始めたばかりの中部電力浜岡原発5号機で、タービンの動翼(回転している羽根)が突然折れ、タービン内部を破壊する事故が発生した。運が悪ければ冷却用水素ガスが漏れ、大火災を起こすか、放射性物質を閉じ込めている復水器や配管を破壊して大量の放射能漏洩を起こしていたであろう。幸い放射能事故は「何も」起こらなかった。

このタービンは日立製で、最新鋭の「技術」で作られたものであったという。それと同じタービンが志賀原発2号機に取り付けられ、まさに営業運転を始めたばかりだった。

その直前の3月24日、志賀原発2号機は市民団体が提訴していた「差止裁判」で、金沢地裁から「運転差止」の判決を受けていた。その「差止」の最大の理由は「耐震設計用の地震想定の誤り」であった。

北陸電力は控訴していたため、2号機の運転は止まっていなかったが、まったく別の事件である「浜岡原発タービンミサイル」で、原子力安全・保安院による「停止点検指示」を受け、7月5日に運転を止めた。以来1年8カ月余り2号機は稼働していない。


臨界事故発覚第1号

1号機は、1999年6月18日に起こしていた「臨界事故」が2007年3月15日に発覚する。これを受けて保安院は「運転停止を命じ」(ただし法的根拠はない)た。

これが、その後10基の原発で起きていたことが明らかになる制御棒脱落・臨界事故の先駆けだ。特に1978年に起きていた東電福島第一原発3号機の場合は、制御棒が5本抜け落ち、7時間半も臨界になっていたことも今になってようやく分かっている。

しかし東電や東北電力などの臨界や制御棒脱落事故に対しては、もともと報告義務がなかったなどとし、何らの処分もなく、再発防止対策と規則に変更を加えただけであった。


能登半島地震

事故と不正発覚により2基とも停止していた2007年3月25日、能登半島沖地震が発生した。運転していなかった志賀原発でも、1号機のプール水があふれ出し、電灯が落ちるなどの被害が出た。

しかし最も重大な問題は、この地震は北陸電力が立地時点で海洋調査を行ったうえで「大きな地震を起こす可能性はない」とした断層が動いた可能性が高いことだった。

さかのぼって、金沢地裁により志賀原発2号機の運転が差し止められた理由は、能登半島基部にある約44キロの「邑知潟断層帯(おうちがただんそうたい)」が活動をした場合、最大マグニチュード7.6の地震を起こす可能性があり、それが原発の耐震評価に入っていないことが指摘されたからであったが、海底活断層調査でも同じような「都合の悪い断層は隠す」という手法で、評価をしてこなかった。しかも、2003年には既に、評価漏れとなっている断層が「活動性のあるM7級の断層」である可能性を知っていた。それもまた、隠し続けてきた。


地震の影響

志賀原発の耐震評価で想定していたのは、直下10キロ圏内のM6.5の地震であった。その地震により生ずる加速度S1(設計用限界地震)は370ガル、S2(設計用最強地震)は490ガルであった。

それでも、能登半島地震では、想定していた地震動S1を上回った。そのため、耐震設計上の地震想定に誤りがあったということになる。

たとえ地震による直接的な破壊が無かったとしても、原発に危険を及ぼす地震の想定そのものが間違っていたうえ、その基準地震動以上の揺れに見舞われた原発が、運転再開できるわけがない。


耐震補強の謎

北陸電力は、能登半島地震後半年もたたないうちから、「耐震補強」を始めた。ところがその「耐震補強」の根拠はさっぱり示されなかった。補強工事というのは工学の話であるから、要求される鋼材の強度や構造物の支持力など、厳密に決められている。当然、そういう強度向上の工事をするには、もともと「何の力がどれだけ働くか」を精緻に決めなければ設計できない。つまり、少なくても地震発生直後には補強工事に必要な計算が出来るほどに「隠していた断層」の評価を行っていたと思われるのだ。

その断層名は「笹波沖断層帯」と呼ばれ、長さ約43キロ、最大マグニチュード7.6の地震を起こす可能性があると、北陸電力が明らかにしたのは2008年3月14日のことだった。それにより、基準地震動も600ガルに引き上げられた。しかしこれも、事前に調べていた調査検討の内容をひた隠しにしてきた「隠蔽」と言うべきものだ。

これで、邑知潟断層帯を分断したり、能登半島地震を起こした海底断層を切り刻んだりしたことに対して「もっと大きな断層地震を想定したのだから問題はクリアされた」と主張したいのであろう。だが、そう簡単な話ではない。

この断層が活動した場合の、最大の地震はマグニチュード7.6が妥当なのかどうか、そしてその地震動による開放基盤表面上の地震が本当に600ガル止まりなのか、中越沖や宮城沖地震を見ると、とてもそんな規模で済みそうにないと思われる。また、そのための評価結果は、まだ誰も「審査」を終えていない。中間報告を出しただけで、もう再起動出来るとする発想そのものが理解できない。

耐震設計上の基礎となるべき地震のパラメータも地盤、地質の評価も、耐震設計や設備補強の詳細も明らかにされていない段階から既に自治体などに対して再起動の申し入れを行い、中間報告が出た直後に動かしてしまうようなやり方であったのに、保安院も安全委員会も何も言わない(あえて言えば国がそうさせている)現実は、とにかく既成事実を先行させ、柏崎刈羽原発も含めて「再起動の筋書き」を作り上げてしまおうとする強引さだけが目立つ。

こんなことでは原発震災を防ぐどころか、新たな不当行為をまかり通らせる結果になるだけである。


志賀原発は試金石

全国のBWRで発覚、問題となった「制御棒脱落事故・欠陥放置」「耐震偽装」「タービン破損」で、重大な役割を果たしてきた北陸電力志賀原発2号機の再起動は、能登半島地震からちょうど一年を経た後の3月26日に予定されている。

それに対して、全国から518,107筆もの運転反対署名が集まった(2月末現在)。

そして、2月には北陸電力本社のある富山市で500人規模のデモも行われた。

この声を背景に、志賀、柏崎刈羽原発を始め、全国の原発を止めるためにまた一つ歩を進めようではないか。


〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔eye306:080402〕
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