[2021_09_12_03]「40年超」美浜原発3号機、過去には11人死傷する事故…140度の水が配管破り噴出(読売新聞2021年9月12日)
 
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「40年超」美浜原発3号機、過去には11人死傷する事故…140度の水が配管破り噴出

 運転開始から40年を超えた原発として6月に全国で初めて再稼働した関西電力美浜原子力発電所3号機(福井県美浜町)。この美浜3号機では2004年8月、放射性物質を含まない冷却水が通る「2次系配管」が破損して高温の蒸気が噴き出し、作業員11人が死傷する事故が起きました。どのような事故だったのか調べてみました。

 Q・どのような事故だったの?
 04年8月9日午後、美浜3号機のタービン建屋(3階建て)で、2階の天井付近にあった金属製の2次系配管(外径約56センチ)が破裂しました。
 配管内の水は圧力がかかって約140度に加熱されており、破裂した部分から蒸気が一気に噴出。付近で定期検査の準備などをしていた作業員が浴び、やけどなどで5人が死亡、6人が重傷を負いました。

 Q・なぜ起きたの?
 破損した部分の近くには配管内の水の流量を調べる計測器が設置され、水の通り道は狭くなっていました。
 水は狭い所から広い所に出ると、流れが四方八方に広がる性質があります。計測器を通った水は配管の壁に当たって削り、厚さ約1センチだった金属の壁が、事故時には一部で0・4ミリにまで薄くなっていました。そのため、水圧に耐えられなくなったのです。
 1986年に米国の原発で2次系配管が破断する事故が発生しており、国内の電気事業者は配管の金属の厚さを適切に管理、測定するよう求められていました。
 しかし、美浜3号機の事故が起きた場所は、関電の委託を受けた企業が90年に作成した点検リストから漏れており、関電は76年の運転開始から事故発生まで、この場所を一度も点検していませんでした。

 Q・事故まで何も気付かなかったの?
 事故の前年の2003年、点検業務を請け負っていた別の業者がこの場所がリストから漏れていることに気付き、報告を受けた関電は04年8月中旬の定期検査中に点検する予定でした。
 事故の1か月前には関電大飯原発1号機(おおい町)の2次系配管の一部で著しく金属が薄くなっていることが確認されましたが、事故が起きた場所をすぐに点検しませんでした。
 関係者は、予定外の点検や部品交換があると原発の停止期間が長くなることに触れ、「事故の背景には、予定通り運転したいという電力事業者の利益重視の風潮があった」と指摘しています。

 Q・事故で何が変わったの?
 県は事故直後、関電に県内の全原発を停止して点検するよう求め、関電は応じました。国内で初めて、自治体の要請で原発が止まったのです。
 05年には立地自治体と電力事業者の安全協定も改定され、県民全体で安全性をチェックできるよう、重大事故の発生時に自治体が事業者に原発の運転停止を要請したり、運転再開時には事業者が事前に自治体と協議したりする項目が明文化されました。
 関電は事故を受けて05年、原子力事業本部を大阪市内の本店から美浜町に移転。原発の安全を徹底させるため、副社長を本部長として常駐させ、経営陣と現場の円滑な意思疎通を図りました。関電には何よりも安全を重視する姿勢を持ち続けてほしいです。(長沢勇貴)
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