[2021_01_06_03]官邸前デモ、個人参加型「新スタイル」確立も3月で休止 資金確保難しく(北海道新聞2021年1月6日)
 
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官邸前デモ、個人参加型「新スタイル」確立も3月で休止 資金確保難しく

 東京・永田町の首相官邸前で毎週金曜夜に脱原発を訴えてきたデモが、今年3月末で休止することになった。東京電力福島第1原発事故後、官邸前で日常の風景として定着したが、参加者の減少が続き、運営資金の確保が難しくなったことが主な理由だ。年齢や性別を問わず、数多くの市民が意見表明をしてきた「金曜デモ」は何を残したのか。
 昨年末の金曜午後6時半。太鼓のリズムに乗って「再稼働反対」の声が響いた。参加者は、新型コロナウイルス感染対策として積極的に呼び掛けていないこともあり、十数人。足を止める通行人はほぼいないが、東京都大田区の無職山口紘一さん(78)は「『原発はいらない』という思いを、政治の中心であるここで訴えたい」と力を込める。
 デモが始まったのは原発事故から1年後の2012年3月29日。関西電力大飯原発(福井県)再稼働に抗議し、約300人が集った。再稼働決定後の同7月29日には最も多い20万人(主催者発表)が官邸や国会議事堂を取り囲み、同8月にはデモのメンバーが当時の野田佳彦首相と面会した。
 だが、次第に熱気は去り、参加者は減っていった。寄付が中心だった運営費の工面が苦しくなり、デモを主催する市民グループ「首都圏反原発連合」は昨年10月、活動休止を発表した。
 金曜デモは社会を変えた。「『デモ』とは何か」の著書がある高千穂大の五野井郁夫教授(政治学)によると、学生運動が沈静化した1970年以降のデモは労働組合や業界団体など組織の動員が中心だったが、脱原発デモは会員制交流サイト(SNS)などで声を掛け合って集まる個人参加型だ。「新しいスタイルを確立した」と指摘する。
 官邸前のデモに触発され、札幌の道庁前など全国各地に同様のデモは広がった。市民の訴えは、安全保障関連法や待機児童問題への抗議などにも拡大した。コロナ禍の昨年5月には、検察庁法改正案に反対するツイッターの投稿が数百万件に達した、大規模な「ツイッターデモ」も起きた。
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