[2024_03_17_01]志賀原発の避難計画“絵に描いた餅” 能登半島地震 各地で道路寸断、「どこに逃げれば…」女川で募る不安、地震と原発はいま【報道特集】(報道特集_TBS2024年3月17日)
 
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志賀原発の避難計画“絵に描いた餅” 能登半島地震 各地で道路寸断、「どこに逃げれば…」女川で募る不安、地震と原発はいま【報道特集】

 04:00
※発言者の略称
[膳場] 膳場貴子キャスター
[村瀬] 村瀬健介キャスター
[金平] 金平茂紀キャスター
[ナレ] ナレーション
[吉田] 吉田進部長(北陸電力 土木建築部)
[井戸] 井戸謙一 志賀原発差し止めを命じた金沢地裁元裁判長
[志賀住民] 原発周辺の志賀町住民
[堂下町議] 堂下健一志賀町議
[女川区長] 女川町の区長
[原団長] 女川原発再稼働差し止め訴訟 原信雄原告団長
[樋口裁判長] 福井地裁の元裁判長樋口英明さん
[林市長] 林幹人珠洲市長(1989年当時)
[塚本住職] 珠洲市圓竜寺の住職塚本真如(まこと)
[詠子さん] 塚本住職の妻、詠子さん
[小谷内さん] (珠洲原発建設に反対していた)小谷内(おやち)毅(たけし)さん
[橋本さん] (珠洲原発建設に反対していた)理容店を営む橋本弘明さん

報道特集HP


[膳場] 特集です。大震災から13年、そして元日の能登半島地震から二ヶ月。今日は全編を通して地震と原発の問題を考えます。
[村瀬] 私たちの国の原発政策は、今どうなっているのか?東北北陸の現場を取材しました。
[村瀬] 志賀原発が見えてきました。地震から二ヶ月余りが経って、ようやく私たちメディアの取材が認められました。



○トラブル続出 志賀原発 公開も・・・
[ 動画先頭:0:00:29〜 ]
[ナレ] 最大振動7を観測した石川県志賀町。北陸電力志賀原子力発電所には1号機と2号機があり、地震の前から運転を停止していた。しかし、敷地内では地面に亀裂が入り、外部から電源を受けるための変圧器で、油が漏れるなどトラブルが相次いた。地震発生後初めて内部が公開されたのだが。



○変圧器撮影に際して厳しい制限
[ 動画先頭:0:01:40〜 ]
[村瀬] 1号機の油漏れが起きた変圧器の現場ですけれども、油漏れが起きた部品はすでに外されています。えー、下に漏れた油もですね。すでにきれいに片付けられています。えー、またですね。私たちあのこちら立ち入りは許されているんですけれども、撮影する方向がですね。厳しく制限されていまして、この後ろ側はですね、一切撮影できないということ。それと、カメラ一台につき電力会社の社員が一人ついてですね。えー制限エリアを撮影していないかを確認するという厳しい制限がつけられて、取材が行われています。
[ナレ] 次に案内されたのは、先月空から撮影した際、ブルーシートがかかっていた2号機の変圧器だ。



○油漏れが起きた2号機の変圧器
[ 動画先頭:0:02:26〜 ]
[村瀬] こちら。撮影が大変厳しく制限されてまして、後ろ側、そしてこちら側はですね。撮影が制限されています。この場所でですね。変圧器の油漏れが起きました。ちょうどこの大きな機械のですね。奥に銀色の紙が見えて。あの場所がですね。油漏れが起きた故障箇所だということです。また下を見てもですね。油が漏れている様子は今は見えません。
[ナレ] 油漏れを巡っては北陸電力の説明も二転三転した。当初およそ3500リットルと発表したが、実際は5倍強のおよそ1万9800リットルだった。油は敷地内に留まっていると説明していたが、後に一部が海に漏れ出ていたことも明らかになった。津波に関しても水位計に有意な変動は見られないと説明していたが、後に1メートルから3メートルの津波が複数回到達していたと訂正した。
今、原発に問題はないのか?北陸電力は。
[吉田] (志賀原発の施設は)全て改善しております。なので、いろいろそういったところは全て機能上、仕様上は全て問題ありません。



○志賀原発 2006年 建設・運転をめぐる裁判で差し止め判決
[ 動画先頭: 0:03:41〜 ]
[ナレ] そもそも志賀原発は建設運転をめぐる裁判で差し止め判決(2006年)が出た過去がある。1999年8月、2号機の工事に着工した直後、地域住民ら135人が身体への危険を及ぼす可能性があるなどとして、北陸電力を相手取り提訴した。係争中の2006年3月15日、2号機は営業運転を開始したが、9日後、金沢地裁が原告住民の主張を認め、2号機の運転差し止めを命じる判決を下した。



○井戸謙一 志賀原発差し止めを命じた金沢地裁元裁判長
[ 動画先頭:0:04:36〜 ]
[ナレ] 当時、裁判長だった井戸謙一さんが18年ぶりに志賀原発を訪れた。能登半島の断層帯でマグニチュード7.6程度の地震は30年以内に2%の確率で起こるという国の評価を受け、判決を下した。その一年後(2007年3月)、能登半島では最大震度6強の地震が起きた。
[井戸] それはもう実はびっくりした。さらに今回これでしょう。だから二回も大きな地震に襲われてるんです。そういう意味では、僕自身の認識もまだまだ甘かった。
[村瀬] 裁判官としてこの巨大な施設を運転を差し止めるっていう判断をするのは大きな重圧だったんじゃないですか。
[井戸] 私はこの原発の運転については、具体的危険があるということを住民側が立証する責任があるのではなくて、電力会社側がそれがないということを立証しなければいけない。じゃあそれを北陸電力が立証できているのかどうか。この訴訟において、やっぱり立証出来ていないというふうに判断するしかない。差し止めというドラスティックなものであっても、その通り判決をして言い渡すのが裁判官の仕事だと。
[ナレ] だが、この裁判はその後(2010年)、最高裁で住民側の敗訴が確定した。能登半島地震を受け、原発周辺の住民が今不安に思っていることとは。



○志賀原発 原子力災害時の避難計画
[ 動画先頭:0:06:17〜 ]
[村瀬] 志賀町の集落ですけれども、この辺りも震度7を観測したということでですね。こちらの家屋倒壊しています。私の右手もですね。このように建物が崩れてしまっています。
[ナレ] この志賀町で原子力災害が起きた際の避難計画書がある。志賀町の住人は北の能登町や南の白山市に避難すると記されている。避難ルートは国道などの幹線ルートを基本としているが、今回の地震では、発生直後から、多くの区間で通行止めが続いた。原発周辺の住民は。
[志賀住民] 道がガタガタになって、見ての通り逃げ場がないですよね。まあ私らは原発の方がちょっと今の段階では廃炉にした方がいいんじゃないかなと思うのですけど。子どもたちがやっぱり心配ですよね。やっぱり将来のことを考えたらね。
[志賀住民] まあ不安大きいですよ。



○避難はもう絶対無理(志賀町の住民)
[ 動画先頭:0:07:52〜 ]
[村瀬] 原子力発電所の事故があって、ということになったら。
[志賀住民] 絶対無理ですよ、逃げる場所ないです。はっきり言って、やはり原発は必要ないなって感じます。
[ナレ] さらに志賀町では原子力災害が起きた際、放射線を防護することができる避難施設も地震による被害を受けていた。ここ(稗造防災センター 志賀町)では住民が今も避難生活をしているが、生活排水を処理する浄化槽が壊れたため、断水が解消されても水を使えない状況が続いている。



○浄化槽がなおらない限り水は使えない
[ 動画先頭:0:08:35〜 ]
[堂下町議] 浄化そうですね。重症ですよね。これがなおらない限り水は使えない。
[村瀬] 避難施設として作られているのに、水道が使えなくなるっていうのも、なかなか困ってしまうんじゃないかと。
[堂下町議] 実際原発事故になりますと水を持ってくる人はまずいないと思いますよね。あと仮設トイレ(を設置する)という話はこれはあり得ませんから、本当にもう致命的です。
[ナレ] 志賀原発の避難計画にも不安があるという。放射性物質が漏れだしたとの想定で実施された防災訓練。道路が寸断し、孤立した地域ではヘリコプターや船を使って避難することになっているが。20年以上前から原発に反対してきた堂下町議は。



○避難計画は絵に描いた餅(堂下健一志賀町議)
[ 動画先頭:0:09:50〜 ]
[堂下町議] 例えば空路、海にしても、いつも防災訓練11月23日やってますけども、その時も、いつもちょっと風が強かったりすると、ヘリが来なかったり、船が出なかったりしたこと今までありましたので、当初から我々も絵に描いた餅だと言っていましたが、こういう形で証明されてしまった。




○13年前にも津波 女川町の危機感
[ 動画先頭:0:10:11〜 ]

[ナレ] 今年9月に再稼働が予定されている原発がある。宮城県の牡鹿半島に位置する東北電力女川原発だ。[膳場] あちらに見えているのが、女川原発のゲートなんですけれども、まさに女川原発と隣合わせのこちらの集落、話を聞いてみますと、原発が事故を起こした際の避難計画については、不安を口にされる方が非常に多いです。
[ナレ] 集落の区長は。
[女川区長] もう逃げろと簡単に言われても、どこさ逃げる。歩くしかない。

[ナレ] 東日本大震災で女川町は15メートル近い巨大津波に襲われ、壊滅的な被害を受けた。女川原発にも津波が到達し非常用発電機2台が停止。また、外部電源5系統のうち4系統まで停止したが、原子炉はかろうじて冷温停止した。



○女川町広域避難計画避難経路 PAZ(原発5km圏内)住民の場合
[ 動画先頭:0:11:41〜 ]
 その後策定された原発事故を想定した避難計画では、女川原発の周辺住民はおよそ70キロ離れた栗原市に避難することになっている。移動手段は自家用車やバスが想定されていて、道路の寸断などで車両での移動が難しい場合は船やヘリコプターで避難するとされている。しかし、その場合でも港やヘリポートまでは徒歩で移動しなければならない。
[女川区長] 「電線柱が倒れて電柱が倒れてしまうならば、歩くことができても車はダメだけど、崖崩れはもう歩けないからね。船だって津波来れば海ももうダメだから、桟橋につけられない、前の地震でわかってるから。



○再稼働差し止め訴訟 原伸雄原告団長
[ 動画先頭:0:12:45〜 ]
[ナレ] 原発の再稼働をめぐっては、3年前に周辺住民が東北電力を相手取り、差し止めを求める訴訟を起こした。
[原団長] 破綻したような避難計画のもとでの再稼働は、あり得ないんじゃないかということを強く思いますよね。
[ナレ] 原さんら原告団が特に問題視するのは、住民が避難する際に放射線物質の除染が必要か確認する検査場所についてです。
[原団長] 大変な渋滞が発生して、そこへ検査場所へ必要な機材だとか。人員がね、派遣できない。検査場所に到達できるのかと、そんなこともいろいろな形で、私ども立証して問題にしてきたんです。
[ナレ] さらに今年1月の能登半島地震で道路が寸断され、多くの集落が孤立したことが、原さんの危機感を強めた。
[原団長] 私たちが心配して問題提起してきたことが、目の前で現実になった。避難計画というのが総崩れという状態がこの目の前で展開されたという感想ですね。
[ナレ] 東北電力側はどう主張しているのか、取材中に東北電力側の反論が原さんの弁護士から届いた。
[膳場] 返事来ましたよね。2月29日。ちょうど今日。
[ナレ] 書面にはこう書いてあった。避難計画の不備について。縷々(るる)主張するだけで、事故が発生する具体的危険については、何ら主張立証を行っていないものであるから、控訴人らの主張が認められる余地はない。
[膳場] 原さんたちの主張が。
[原団長] 全く論外だという。しかし、驚くべき回答だ。
[ナレ] 番組の取材に対し、東北電力は係争中の訴訟に関わることで詳細は差し控えるが、当社は引き続き、避難計画の実効性向上に向けて、自治体とも連携しながら、事業者としてできる限り貢献していくなどとしている。



○敗訴続くも・・・「命を守るのが裁判所」
[ 動画先頭:0:15:36〜 ]
[ナレ] 現在、国内にある原子力発電所は15カ所33基、そのうち東日本大震災後に設けられた新規制基準に適合した12基が再稼働しているこれ、まで五カ所の原発について運転差し止めなどを命じた司法判断が下されたが、審理中を除き、いずれも上級審などでくつがえった。



○大飯原発の差し止めを命じた樋口英明元裁判長(71)
[ 動画先頭:0:16:20〜 ]
[ナレ] 2014年、関西電力大飯原発の運転差し止めを命じた福井地裁の元裁判長樋口英明さん。
[樋口裁判長] 関西電力の主張は「大飯原発の敷地に限っては強い地震は来ませんから安心してください。」強い地震が来ても大丈夫だという主張ではないんです。今の規制基準は「将来起きる地震の大きさと強さが予測できる」という、そういう立場に立ってるんですね。私はそこの根本のところはおかしいんじゃないかと。
[ナレ] それぞれの原発には、耐えられる最大の揺れが設定されている。大飯原発の場合、当時最大で700ガル(震度6弱相当)(※現在は856ガル)までの揺れに耐えられるとされていたが、700ガルを上回るような地震は、今回の能登半島地震を見てもわかるように、あの地震は2828ガルだったんです。1000ガルの地震も数多くあります。そういう意味から極めて危険だということですね。
[ナレ] 設定された揺れを上回る地震が起きる可能性を否定できないという樋口さん。建物は倒壊しなくても停電や配管が壊れることで重大な事故が起きないとは言えないと判断した(2014年5月)。ところがほとんどの裁判所は、原子力規制委員会にただ従い、原発がそれに適合しているかだけを見ているという。
[樋口裁判長] (原発は)規制基準に合格してるじゃないか。それ以上はもう裁判所が口出しすべきことではないと、裁判所とかこの法曹界の悪いところが出ていると思いますね。いわば「先例主義」なんですよね。根本は国民の命を守れるかどうか。耐震性が高いか低いか、素直に考えればそうなんだけど、裁判所の役割が分かってないです。国民の命と生活を守るのが裁判所の役割です。



○「町が死ぬ」原発建設を止めた人たち
[ 動画先頭:0:18:33〜 ]
[ナレ] 21年前、住民の反対によって原発の検設が中止になった町がある。石川県珠洲市の高屋(たかや)地区。
[金平] この港の向こう側ですね。山が競り出している辺りですね。この辺りに山を切り崩して原発を作ろうとしていたわけですね。



○高屋(関西電力が計画)・寺家(中部電力が計画)
[ 動画先頭:0:19:45〜 ]
[ナレ] 原発が建てられる予定だった場所は、今年元日の地震で甚大な被害を受けた。大きく崩れた山肌。土砂崩れによってあちこちの道路が寸断されていた。海底の隆起によって波消しブロックはむき出しになっていた。この珠洲市に原発建設計画が持ち上がったのは、1970年代半ばのことだ。「日本最大の原発」中部電力、北陸電力、関西電力による共同開発で、高屋(たかや)地区(関西電力が計画)と寺家(じけ)地区(中部電力が計画)に原発が作られる計画だった。国と電力会社がいわば国策として巨額の資金をつぎ込み、原発建設を推進していた時代。過疎化が進んでいた珠洲市の市議会は1986年、チェルノブイリ事故が起きた直後に原発誘致を決議していた。
[ナレ] 1989年、原発建設推進派と反対派で、町は二分された。
[林市長] 市といたしましては、今後とも市民の声を聞き、町づくりに資するよう厳正に電力を指導していく考え方に変わりはありません。
[珠洲市職員] 以上により報告会を終わります。ありがとうございます。



○お願いですからやめて下さい、町が死んでしまいます。
[ 動画先頭:0:20:45〜 ]
[反対派住民] 答えになっていないでしょう。お願いですからやめてください、町が死んでしまいます。
[ナレ] 30年近くにも及ぶ住民の反対運動の末、2003年、電力3社は計画を凍結することになった。その珠洲市を今年震度6強の揺れが襲ったのだ。原発の建設予定地は震源のすぐ近くだった。
[金平] 予定地はここですよね。
[塚本住職] 防波堤からこっちはそうなんだけど。



○本堂は何とか持ちこたえたが、隣接していた自宅は大破していた
[ 動画先頭:0:22:10〜 ]
[ナレ] この地域で20代続いている圓竜寺の住職塚本真如(まこと)さん。原発建設反対の声をまとめた中心人物だ。その圓竜寺も今回の地震で大きな被害を受けた。
[ナレ] 本堂は何とか持ちこたえたが、隣接していた自宅は大破していた。
[塚本住職] ここにいたんですけど、女房がここに挟まってたんです。ここのテーブルありますね。あそこに。(自分一人で)ひっぱりだしたんですよ。
[ナレ] この僅かな隙間が生死を分けた。妻の詠子(えいこ)さんは、足に大けがをして自衛隊のヘリで搬送された。この日、部屋の中から見つかったのは、原発建設に反対していたころの写真だ。
[金平] 若いねー。それも若い。これいくつぐらいの時。
[塚本住職] これなんか35、6だと思うなあ。
[ナレ] 市役所に詰めかける住民たち。それでも反対する住民は当初、町の中では少数派だった。塚本さんの家には無言電話が続き、嫌がらせの手紙が山ほど届いたという。妻、詠子さんは当時を振り返って。



○「塚本さんは描かなくていいからね」
[ 動画先頭:0:23:54〜 ]
[金平] 四人のお子さん。学校で自分の学校でいじめられたりとかねあったんですか。
[詠子さん] あのなんだったっけな。未来の町を小学校四年の時に二番目の女の子が、えっと要するに絵を描かせたかな、そしたらうちの子どもに、先生「塚本さんは描かなくていいからね」って言ったんだって、明るい未来とか原子力とかね。
[金平] そういうテーマの絵を描かせた先生がいた。



○誰一人欠けてもね、あの原発は止まらなかった
[ 動画先頭:0:24:32〜 ]
[ナレ] 当時の仲間だった(原発建設に反対していた)小谷内(おやち)毅(たけし)さん。裏で運動を支えてくれた人もたくさんいたと涙ぐむ。
[小谷内さん] 誰一人欠けてもね、あの原発は止まらなかった。表に出た人、目立った人はいたけど、いろんな人がいたからこそ止まった。
[ナレ] 嫌がらせを受けながらも、なぜ塚本さんは声を上げ続けることができたのか。



○勝ち負けは別として、とにかく最後までやるっていうのは貫き通そうと思った
[ 動画先頭:0:25:00〜 ]
[塚本住職] 僕は坊主だからやるのは当然と言えば当然ですよ。強いものを味方したら坊主じゃないっていうのと、それから左とか右とか迷ったら、困難な方を選べとそれは出てくるよね。それは絶対に悔いのないことだというふうに教えたのがお親父なんですよ。勝ち負けは別として、とにかく最後までやるっていうのは貫き通そうと思った。



○1996年当時の塚本さんと推進派住民と対話
[ 動画先頭:0:25:46〜 ]
[ナレ] 塚本さんと共に反対の声を上げていた人がいる。珠洲市で理容店を営む橋本弘明さん。今から28年前、報道特集は反対運動の最中にいた橋本さんを取材していた。カメラは橋本さんの店にやってきた推進派の住民とのやり取りを記録していた。
[推進派の住民] 夢ばかりおっていても生活できない。やはりこれからの珠洲市、現実的なところを示して、そしてやっぱり次の珠洲市ををどう持っていくかということですね、お互いに真剣に考える時期が来ていると思う。
[橋本さん] みんな良くなればいいと思ってやっているが、手法の違いで。
[橋本さん] 話す余地のない人もたくさんいた。そしたらまだいい方。
[ナレ] これは当時電力会社などが住民に配っていたチラシだ。
[橋本さん] これは電力(会社)なんですよね。毎週入ってくるんですよ。
[金平] 原子力発電所は岩盤のしっかりした場所が選ばれています。
[ナレ] 地震に自信があり。津波対策は万全です。電力会社は原発の安全性を強調していた。原発が既に建った町では、人口流出に歯止めがかかり、明るく楽しい町になるとうたっていた。後に原発事故で甚大な被害を受ける福島県双葉町については、豊かになった財源により農業の振興が図られています。さらに推進派は著名人を招いて講演会を開いたり、全国の原発への視察旅行に住民を招待したりしていた。
[橋本さん] 全部無料。食べ物からバスから全部。金取ったら誰もいかないですよ。
[金平] 今こんなね。本当にこれ、皆さんこの運動をやられた方は、心から珠洲に原発がなくてよかったなと思っていると思いますよ。
[ナレ] 「珠洲に原発がなくてよかった。」住職の塚本さんのもとにも、地震後そうした声が届いている。
[塚本住職] (原発は)来てほしくないけど持ってきたいという、その集落の貧しさみたいなのがね、あったんや。原発推進派が悪い良いというのでは片づけられない問題があったという風に思いますよ。
[ナレ] 地震で一変した故郷を眺め、塚本さんはこう訴えた。
[塚本住職] この事実をみればね、僕は、高屋に限ったことじゃないと思うので。日本の原発はみんなこんなところに建っているんだという風には思いますよね。今休んでる原発をまた動かそうとしてるでしょ。そういう人たちにこういう実態をぜひ見てほしいですね。そして結論出して欲しい。
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