[2024_03_11_06]「あの経験」はもう誰にも…東日本大震災を機に福島から新潟へ避難した人たちが能登半島地震で感じた不安(東京新聞2024年3月11日)
 
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「あの経験」はもう誰にも…東日本大震災を機に福島から新潟へ避難した人たちが能登半島地震で感じた不安

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 北陸電力志賀原発が立地する石川県志賀町で震度7を記録した能登半島地震。13年前の東京電力福島第1原発事故で福島県から新潟県に避難した人々も危機感を強めている。「あの経験を誰にもしてほしくない」と思う一方、同じ日本海側の新潟県内にある柏崎刈羽原発に不安を募らせる。改めて耳を傾け、原発の今後を考えた。(山田祐一郎)

 「本震の長いあの揺れは何年ぶりだったろう」。新潟県阿賀野市に住む大賀あや子さん(51)が元日の様子をこう振り返る。
 「志賀原発はどうか、柏崎刈羽原発はどうかと思いながら情報収集をしていた」。この地震で同市は最大震度5弱を記録した。

 ◆常に揺れを感じる「地震酔い」が再発

 「余震と原発へのストレスで久々に、常に揺れを感じる『地震酔い』になった。今すぐにできることはないから寝るしかないとわかりながらも、不安がつきまとった」。1月中は睡眠障害に悩まされたという。「頭では落ち着いているつもりでも、13年間の記憶を知らず知らずのうちに刺激されたのだろう」
 13年前は福島第1原発がある福島県大熊町に住んでいた。会津若松市などに避難した後、新潟に身を寄せたのは2014年だった。

 ◆農業をしていた自分が土を避けるように

 福島で避難生活を送る間、土ぼこりに含まれる放射性物質が心配で、窓を開けずに暮らした。「農業をしていた自分が土を避けるという、これまでと真逆の行動をしなければならないことに追い詰められていた」
 現在の新潟の家は、山の麓で暮らしていた大熊町の雰囲気と似ていることが理由で決めた。「移った当初は、毎月11日午後2時46分になると、手を止めて東の山を見上げ、大熊町に黙とうをささげていた」
 最近はだんだんと時間ちょうどに東の山を見ることは少なくなってきた。大熊町の自宅に一時帰宅したのは20年4月。昨年、避難指示解除から1年で国による家屋解体の申請が終わるのを機に、解体を決意した。

 ◆志賀原発の動向にも、柏崎刈羽原発周辺の様子にも不安

 そんな中で起きた能登半島地震。志賀原発について北陸電は早々に「異常なし」と発表したが、変圧器が損傷し、モニタリングポストも故障。後になって被害の情報がどんどん拡大した。「志賀原発は運転休止中でも落ち着かない」
 不安は新潟の原発にも向く。現在住む阿賀野市は、柏崎刈羽原発から約70キロ。隣接する新潟市では能登半島地震を受けて液状化現象が発生し、道路の陥没、隆起が相次いだ。柏崎刈羽に近い刈羽村内でも液状化による道路の亀裂が確認された。高速道路や国道が通行止めとなり、津波警報により避難しようとした住民らの渋滞も発生した。
 より近くで地震が起きたらどうなるか。原発事故を知るだけに危惧が募る。「私たちは刻一刻と状況が悪化する経験をした。原子力災害が起きたらできるだけ早く離れないといけない」
 柏崎刈羽原発を巡っては昨年末、原子力規制委員会が事実上の運転禁止命令を解除。東電が再稼働に向けて施設の検査を進める。
 その一方、新潟地裁では2012年以降、住民らが東電を相手取って柏崎刈羽原発の運転差し止めを求める訴訟が続いている。
 福島県郡山市から新潟市に避難する菅野正志さん(49)は原告の一人。「私たちのような人を二度と出したくない」と訴訟に参加した理由を話す。「新潟に避難して人が本当に温かかったので…。同じ思いをさせたくない」
 福島の事故直後、妻と幼い娘2人が先に新潟に移った。自身は郡山市にとどまり、週末に新潟に向かう生活が約3年続いた。「郡山に戻るときに子どもが泣くのがつらかった。あの光景を見るのはもういやだ」

 ◆政府や電力会社の「大丈夫」は信用できない

 新潟での仕事も暮らしも慣れてはきた。「安心、安定を感じているが、あくまで避難。定年までは今の生活を続けるつもりだが、その先は見えない」
 そんな中で同じ日本海側にある能登半島で大地震が起き、原発への不安が再びかき立てられた。「当時を知る者としては、政府や電力会社の『大丈夫』は信用できない」
 大賀さんと同様、新潟の原発を危ぶむ。「新潟へ避難してから、柏崎刈羽で何かあったらという恐怖心は常にある」と菅野さん。「原発は政府や電力会社がちゃんと管理できていればこそ。今までのずさんな状況では無理だ。避難計画を練っていても正直、ベストな条件がそろわないと避難できないのではないか」
 能登半島地震を受け、柏崎刈羽原発の再稼働に対し、新潟県の自治体の間には空気の変化が見られる。

 ◆能登半島地震で新潟県内の雰囲気に変化も

 2月23日には県内全30市町村でつくる「原子力安全対策に関する研究会」が長岡市内であり、首長らは政府に対し、活断層の再評価など能登半島地震の経験を踏まえた対策を求めた。
 事務局を務める長岡市によると、原子力規制庁や内閣府、県の担当者と地元首長らが参加。首長らが、内閣府が中心となって策定を進めている広域避難計画「緊急時対応」について、大雪と原発事故が重なる複合災害の避難の考え方などに対し、国の見解を問うた。このほか、東電の適格性や避難計画の実効性を疑問視する声があり、「再稼働を議論する時期にない」との指摘もあったという。
 注目すべきは県が行った福島原発事故の検証もだ。
 県は有識者らによる検証委員会を複数設け、事故原因の分析や事故時の避難などの検証を進めてきたが、報告書を取りまとめる検証総括委員会の有識者については昨春、任期が更新されず、県が報告書をまとめて9月に公表した。

 ◆「避難計画に穴があいたまま再稼働の議論をするのは時期尚早」

 これに対し、検証委の元メンバーらは独自の検証報告書を公表。「市民検証委員会」を立ち上げ、福島原発事故の経験から柏崎刈羽原発の再稼働議論につなげる活動を続けている。
 県の検証総括委の元委員で、市民検証委の共同代表を務める新潟国際情報大の佐々木寛教授(政治学)は「県の検証は福島での課題を指摘しながら、柏崎刈羽に当てはめて総括しない。画竜点睛を欠く」と語る。
 福島を知る人々が口にしてきた原発事故の脅威。能登半島地震を経た今、県内自治体や住民の間に原子力災害が現実問題として意識されるようになったとし、こうけん制する。
 「住民の安全を守る使命がある県内首長には、避難計画がいざという時に全く機能しないという思いがあるのだろう。トップダウンではなくボトムアップでなければ計画は絵に描いた餅でしかない。柏崎刈羽原発の事故被害を前提に具体的な避難のあり方を市民が検証するべきだ。避難計画に穴があいたまま再稼働の議論をするのは時期尚早だ」

 ◆デスクメモ

 能登地震後、従来以上に原発に気をもむ。志賀も、柏崎刈羽も。石川県は12年前、今回の震源地域で大地震が起きると想定したが、佐渡付近でもマグニチュード8級を見立てた。事が起きてからでは遅い。文中のお二方のような苦悩を避けるには汚染源になる原発を早々にたたむべきだ。(榊)
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