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[2025_03_04_03]川内原発差し止め訴訟で原告敗訴 鹿児島地裁判決のなにが問題か 人格権、生存権を認めない判決の不当性 (上) (2回の連載) どれほど厳格な基準を設けても事故のリスクをゼロにはできない 山崎久隆(たんぽぽ舎共同代表)(たんぽぽ2025年3月4日) | ![]() |
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参照元
04:00 第一 ≪過酷事故を起こしたら事業者と国の責任が問われる≫ 鹿児島地裁は2月21日、九州電力川内原発差止訴訟で原告敗訴の判決を出した。 判決では川内原発の安全性が確保されているという前提に立っており、事故発生時の事業者および国の責任について十分な検討を行っていない。 福島第一原発事故の教訓を踏まえれば、事故を起こせば国と事業者には極めて大きな責任が及ぶことは自明であり、その対策の評価や基準の是非などに触れていないこと自体が、3.11を経た現代において批判に耐える判決とは到底言えない。 以下、具体的に指摘する。 1.事業者である被告・九州電力の責任 (1) 原子力損害賠償の無限責任 「原子力損害の賠償に関する法律(原賠法)」により、原発事故による損害賠償責任は原則として電力会社(事業者)が無限責任を負うとされている(原賠法第3条)。 これについては、福島第一原発事故を基本に置いて考えるべきである。 過酷事故後の東電の実態を見れば明らかなとおり、実際には事業者が単独で事故の損害を賠償することなど極めて困難だ。最終的に公的資金による救済が実施されたことでも明らかなとおり、巨額の税金投入が必至の事態になる。 新たに法律「原子力損害賠償支援機構法」を作り、損害賠償を行なうことになった。 廃炉関連費用は、少なくてもこれまで23兆円かかっており、これからも増える。 これら費用を電力会社が全部負担することなど不可能だ。川内原発でも同様の事故が発生すれば、九州電力がこれら事故に伴う損害賠償を単独で全て負担できるとは到底考えられず、結局は国民負担となる。 (2) 事業者はリスク認識が決定的に欠如している 事業者は「規制基準に適合している」として、地震・火山リスクの評価結果を審査会合等で国に提出し、規制庁に対して説明した。これらの対策を十分取っている旨説明しているが、実態は自然災害を過小評価している。 福島第一原発事故では東電が「想定していた津波」でさえ過酷事故が発生した。 事業者がリスクを十分に認識せず、コスト優先で安全対策を怠った場合、その結果責任は極めて重大であるのに、判決ではこれらの判断を避けている。 (3) 被害者への賠償の不確実性 福島第一原発事故では被害者への賠償が長期化し、多くの被害者が最低限の補償さえ受けられていない。多くの裁判では、全て事業者の賠償責任は認定されている。 九州電力が仮に賠償責任を負ったとしても、経営が破綻すれば被害者が適切な賠償を受けることができなくなる可能性が高く、賠償能力を超える事態が出現する。 2.国(被告国)の責任 (1) 規制機関の監督責任 原子力規制委員会が「安全基準を満たしている」と判断しても、事故が起きれば責任は国にある。 福島第一原発事故では、国が事業者の安全対策を適切に監督しなかったことが事故を招いた要因の一つとされている。 最高裁判決(2022年6月17日)でも少数意見ながら、三浦守裁判官が「国は東京電力に対し、福島第一原発の防潮堤設置を指示できたのにしなかった」として、責任を認める意見を出している。 本件判決のように「安全基準を満たしている」との判断を理由に運転を認めてしまえば、福島第一原発事故と同じ過ちを繰り返すことになる。 (2) 事故後の責任回避の可能性 福島第一原発事故では、国が事業者の賠償を肩代わりする一方で、裁判では政府関係者の責任が認定されていない。 本判決が示すように「原子力規制委員会の判断が不合理でなければ原発は安全」という考え方では、将来事故が起きた際も国は責任逃れをするであろう。 国が原発の安全性を保証する以上、事故時には全面的に責任を負うべきであるとの立場から、国の判断の合理性を裁判所は判断するべきである。 3.責任の所在が不明確なまま原発を運転するリスク 本件の判決は、事業者は「原発は安全であり、事故は起こらないように国の規制に沿っている」と主張したことについて、国は「規制基準を満たしているから問題ない」と判断したというものに過ぎない。 その対応や判断が妥当なものであるかどうかを評価し判断するのが裁判所の役目であるはずが、まったくといって良いほど判断していない。 これでは「国の指示通りの事業者には問題がない」といっているに過ぎない。訴えた意義さえも無駄だといっているに等しい。 福島第一原発事故が「想定内」の地震・津波で発生したように、どれほど厳格な基準を設けても事故のリスクをゼロにはできない。 そのことを裁判所は認定した上で、その合理性、妥当性を判断しなければ、裁判の意味がないのである。 事故が起きた際の責任が不明確なまま、川内原発を運転し続けることは、将来の甚大な被害と国民負担を招くことについて「仕方がない」ものなのか、それとも「そうした危険性はない」と判断したのか、その根拠を挙げて指摘するべきである。 (下)に続く (初出:2月28日発行、たんぽぽ舎「金曜ビラ」) |
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