[2012_05_27_01]枝野氏 情報発信不十分で陳謝(NHK2012年5月27日)
 
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枝野氏 情報発信不十分で陳謝

 東京電力福島第一原子力発電所の事故の際に、政府のスポークスマンの役割を担った枝野経済産業大臣は、国会の調査委員会に参考人として出席し、「情報を政府として集約すること、そしてその後の予想や想定ができなかったことこそ、反省だと思っている」と述べ、政府の情報発信が十分でなかったことを認め、陳謝しました。
 国会の原発事故調査委員会は、27日、事故当時、官房長官として、政府のスポークスマンの役割を担った枝野経済産業大臣を参考人として招致して公開で質疑を行いました。
 この中で、枝野氏は、政府の情報発信について、「情報発信そのものよりも情報を政府として集約すること、そしてその後の予想や想定ができなかったことこそ反省だと思っている。放射能の影響などについて、私の思っていたことと、特に被害を受けられた周辺地域のみなさんの受け止めとの間にずれがあったことは、改めて大変申し訳なく思っている」と述べました。
 そのうえで枝野氏は、避難区域の設定について、「すぐに戻れるつもりで避難したものの、長期にわたり一時的にすら戻れない人がいる。避難が長期にわたるという問題意識を私だけでなく、皆さん、持っていなかったことが、結果的により大きな苦労をかけた。大変忸怩(じくじ)たる思いだ」と述べました。
 また、枝野氏は、東京電力や原子力安全・保安院などとの連携について、「必ず発表することは、同時に総理大臣官邸にも報告してくれと言ったが、発表前に承認を求めるということではない。とにかく分かったことは全部出せと、政府内部や東電にも指示していたが、指示が徹底していなかったということで、忸怩たる思いだ」と述べました。
 さらに、枝野氏は、菅前総理大臣が、事故直後に現地を視察したことについて、「『邪魔になったのではないか』という抽象的、感情的な政治的批判は免れないので、『とてもおすすめできない』という趣旨を進言した。しかし、菅総理大臣は『できるだけベストに近い対応をする動きが大事だ』という趣旨のことをおっしゃったので、政治的なリスクを分かったうえで対応されるならば、そこは総理の判断だ」と述べました。
 このほか、枝野氏は、現場からの作業員の撤退を巡って、東京電力が総理大臣官邸に全員の撤退は打診していないとしていることについて、「清水社長との正確なことばのやり取りまでは覚えていないが、『そんなことしたら、コントロールできなくなり、どんどん事態が悪化する』と私が指摘したのに対し、清水社長は、口ごもった答えだったので、部分的に残すという趣旨でなかったのは明確だ」と述べました。
 また、放射性物質の拡散を予測する「SPEEDI(スピーディー)」のデータの公表が遅れたと指摘されていることについて、枝野氏は「私がスピーディーというシステムがあるということを知ったのは、震災後の15日か16日くらいだったと思う。シミュレーションしていたのに、報告が上がらず、公表されなかったことが、まさに信頼を損なっている大きな原因になっていると思う」と述べました。
 さらに枝野氏は、アメリカから、総理大臣官邸に常駐したいと申し入れがあったことについて、「アメリカは情報がないといらだっていた。官邸は、我が国の国家主権の意思決定をする場所であり、国家主権としての意思決定に、外国の政府関係者が直接関わるということはありえない。『官邸の中に、常駐というのは、勘弁してほしい』と申し上げた」と述べました。
 国会の原発事故調査委員会は、28日は、菅前総理大臣を参考人として招致して、質疑を行うことにしています。

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