[2012_03_13_01]遺跡からの警告 地震考古学 第6部 「消えた島の伝説」2 津波堆積物が語る真実 地震なしでも発生?(東奥日報2012年3月13日)
 「津波が巨石を運んできた」「山に船が流れ着いた」。1026年に島根県益田市を襲ったという「万寿の津波」伝承を調べていた都司(つじ)嘉宣東大准教授(古地震学)が、頭を抱えた。
 「これではマグニチュード8級の巨大地震を想定しなければならない」。伝承通りなら、高さ20〜26メートルの大津波が海岸から5〜6キロも内陸へ到達したことになる。
 箕浦幸治東北大教授(地質学)は津波堆積物の位置から「到達点は海岸からせいぜい2キロ。地層の状況からみて勢いはすさまじいが、浸水取囲は狭かった」と指摘する。
 不思議なのは、誇張された伝承の中に地震の「揺れ」がないことだ。「京都の公家の日記や、韓国・慶州で当時の正史『高麗史』も調べたが、津波当日に地震の記録はなかった」と都司准教授。
 津波は通常、地震による地殻変動で海面に落差が生じて起きる。当初は陸に近い海底断層が活動したとみて、岡村真高知大教授(地震地質学)らが音波探査をしたが、津波を起こすほどの活断層は見つからなかった。
 「局所的で強い津波」はどうして起きたのか。箕浦教授は「地震と関係なく発生した海底地滑りが原因」と推測する。
 益田市で確認した津波堆積物の下部は、炎がゆらめくように波打っていた。まだ固まっていない地層上に重たい物質が急激に堆積して起きる変形現象で、湖か沼だった調査区に津波が大量の海砂とともに流れ込み、重みで底の泥が噴き上げようとした跡と考えられた。
 箕浦教授は、泥を沈殿させた水槽に海砂を流し込んで状況を再現。「炎」が現れたが、水槽を揺らすと消えてしまった。
 「余震があれば、形は残らない。当時の益田平野は河川が運ぶ土砂で陸地になる途中。生まれたての不安定な地盤が土砂を支え切れずに滑り落ち、海水が高く跳ね上がつて局地的な大津波になったのだろう。益田沖は急に深くなっており、地滑りが起きやすい地形。鴨島はこの時消えた陸の一部ではないか」と話す。
 箕浦教授が心配するのは海岸に造られた日本の原発だ。「プレー卜の押し合いで隆起した日本周辺の海底は傾斜がきつく、地滑りはどこでも起きうる。活断層があってもなくても津波は来ると考えるべきだ」。全国で唯一、県庁所在地にある中国電力島根原発(松江市)は南に宍道断層(鹿島断層)が走り、日本海側にも活動履歴の分からない断層があるとされる。
 松井孝典東大名誉教授(地球・宇宙物理学)は「GPS(衛星利用測位システム)津波計・波浪計を日本の周囲にくまなく設置、リアルタイム津波予測をやるべきだ。10分前に確実な情報があれば人は逃げ、原発は止められる。地震予知よりよほど効率的だ」と話した。
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