【記事09578】震害地踏査第一報 死のトンネルを潜り 強行 熱海に入る(東京朝日新聞1930年11月27日)
 
※以下は地震関連の見出しと重要と思われる部分をテキスト化したものである

○震害地踏査第一報 死のトンネルを潜り 強行 熱海に入る 熱海にて 大澤特派員発
○道路は亀裂し 公園原型を留めず 惨たる伊東町に進む 滞在客には死傷なき見込み
○生きた心地もなし 滞在客語る
○本社救護班 震災地へ急行す
○至る所に温泉 長岡温泉地の大変化
○上空から災害地を視る 本社熊野機上にて 関本特派員【午前十時代々木投下】
 伊豆方面震災の方に接すると共に本社のコメット期は熊野飛行士操縦士の下に佐野??部員及び余(関本記者)をのせて午前八時四分立川飛行場を出発、伊豆地方に向かい上空より被害地の状況を??撮影して引き返し午前十時半代々木練兵場に原稿及び写真を投下した、余はまず立川から箱根を右に見て、まっしぐらに伊東へ飛んでいくー懸念された熱海町は大した被害はないが、熱海を過ぎ伊東へ向かう海岸のところどころに崖くずれがあり、震害地であった事を思わせる、伊豆伊東は地震のために出火延焼中で町の中央部の一角は焼失し、今なお一条の余煙が揚がっているのが見える、しかし町全体としては被害は案外?少らしい、?を進めて修善寺に入ればポツリポツリ屋根瓦の落ちているのが眼につく、ここから中郷に向かう途中の村落、川西、江間その他の部落全体の瓦葺家屋は屋根瓦がズリ落ち、丁度はげ頭をならべたように家?をつらねているが、更に中郷の被害は大きく、小学校、役場はペチャンコに倒壊し、人家の倒れたもの数十に上り街頭には消防夫がポンプを押出して出動、多数の被害者の空地にたむろしている姿が痛ましい、三島町は駅付近に可なりの倒壊家屋があるが、外郭部の被害は少い模様である
○惨鼻の三島町! 死地を脱して帰った【一遭難婦人の談】
○内務省より震災地へ 視察員を派遣 
○救護班を組織 両県の応急策
○救援品 無料輸送
○電信電話 被害 
○熱海線開通す

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