【記事60801】関東全域を襲う内陸直下型地震(島村英紀2017年9月22日)
 
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関東全域を襲う内陸直下型地震

 埼玉県は地震も台風の被害も少なく、自然災害が少ない県として知られている。住んでいる人も油断しているに違いない。
 たとえば首都圏に死者10万人を超える大災害をもたらした関東地震(1923年)も、埼玉県では死者数は死者全体の約2%、220名弱。それも東京に接する南部に被害が集中していた。
 だが、油断してはいけない。埼玉県でも内陸直下型地震は起きる。そのひとつが、1931(昭和6)年9月21日に起きた「西埼玉地震」だ。マグニチュード(M)は6.9だったが20人近い死者を生んでしまった。
 この地震は県西部の寄居(よりい)に震源があった。震源がごく浅い直下型地震だった。
 寄居(現大里郡寄居町)は秩父山地が迫っているところだ。地鳴りが広い範囲で聞こえた。これは堆積物がほとんどない山地の地震の特徴である。山地には被害がほとんどなく、寄居の市街地は壁が落ちた程度で被害が少なかった。
 一方、埼玉県の中部や東部で人々が集まっているところに被害が多かった。被害が大きかったのは、荒川と利根川沿いの県東部の地盤が軟弱なところだった。
 揺れが大きかったところでは地面に亀裂が走り、広い範囲で地盤液状化による地下水や土砂の噴出、井戸水の濁りなどが生じた。
 そもそも西部を除いた埼玉県の多くが田んぼや湿地を埋め立てて住宅街ができている。こういった場所では液状化が起きやすい。
 隣接する群馬県でも、関東地震より西埼玉地震のほうがずっと大きな被害を出した。たとえば倒壊家屋は関東地震では50棟もなかったのに、西埼玉地震では150棟を超えたし、死者5人も出た。西埼玉地震での群馬県の被害も利根川と支流の近くに集中していた。
 関東地震のときの揺れの分布図を見ても、東京から埼玉県東部へかけて、揺れが大きかった「帯」が延びている。これは荒川と利根川が長年かかって運んできた軟弱な土が厚く堆積しているところだ。これから襲って来る大地震でも、これらの地域は、また、大きく揺れるに違いない。
 西埼玉地震が人々の記憶に残っていない理由がある。
 ひとつは群馬・長野県境にある浅間山(標高2568メートル)だ。1927年ごろから噴火活動がさかんになり、毎年のように爆発を繰り返していた。そして1930年には死者6人、1931年にも死者3人を出す噴火が続いていた。
 天災ばかりではない。西埼玉地震の4日前には、満州事変の発端となる柳条湖事件が起きている。地震発生当日にも朝鮮に駐留していた帝国陸軍が独断で中国国境を越えて派兵して、国内も騒然となっていた時期だったのだ。つまりメディアや人々の関心は西埼玉地震からすぐに離れてしまったのである。
 しかし、忘れてはいけない。関東地方のどこにも、これから襲ってくる内陸直下型地震の危険はあるのだ。昔とは比較にならないくらい多くの家が建ってしまっただけに、地震への弱さがことさら心配になる。

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